ペガサス級ミサイル艇
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| ペガサス級ミサイル艇 | |
|---|---|
|
PHM-3 トーラス | |
| 基本情報 | |
| 種別 | ミサイル艇 |
| 運用者 |
|
| 就役期間 | 1977年-1993年 |
| 計画数 | 30隻 |
| 建造数 | 6隻 |
| 前級 | アシュビル級 |
| 要目 | |
| 満載排水量 | 241トン |
| 軽荷排水量 | 198トン |
| 全長 | 40.5m(水中翼折畳時:44.7m) |
| 水線長 | 36.0m |
| 最大幅 | 8.6m(水中翼を含めて14.5m) |
| 吃水 |
最大7.1m (水中翼折畳時:1.9m/翼航走時:2.7m) |
| 機関 | CODOG方式 |
| 主機 |
(翼航走時) ・GE LM2500 PB102ガスタービンエンジン×1基 ・ウォータージェット推進器×1軸 (艇体航走時) ・MTU 8V331 TC81ディーゼルエンジン×2基 ・ウォータージェット推進器×2軸 |
| 出力 |
・翼航走時:19,416馬力 ・艇体航走時:1,340馬力 |
| 電力 | AIリサーチ ME831-800ガスタービン発電機×2基(計405kVA) |
| 速力 | 50ノット |
| 航続距離 |
・600海里(40kt巡航時) ・1,200海里(11kt巡航時) |
| 燃料 | 50トン |
| 乗員 | 士官4名+下士官兵17名 |
| 兵装 |
・Mk.75 76mm単装速射砲×1基 ・ハープーンSSM 4連装発射筒×2基 |
| FCS | Mk.92 Mod.2砲射撃指揮用 |
| レーダー | AN/SPS-64(V)1対水上捜索/航法用×1基 |
| 電子戦・ 対抗手段 |
・SLR-21電波探知装置 ・Mk.34 RBOC(6連装デコイ発射機×2基) |
ペガサス級ミサイル艇(英語: Pegasus-class hydrofoil)は、アメリカ海軍が運用していた水中翼ミサイル艇の艦級[1][2]。
水中翼船の研究そのものは1900年代より行われてきた。当初成功したものはいずれも水面貫通型であったが、アメリカ海軍では、1948年より全没型の艇の研究開発に着手した[3]。その進展を受けて、1966年度計画ではグラマン社とボーイング社に対してそれぞれ1隻ずつのプロトタイプが発注され、前者が「フラッグスタッフ」(PGH-1)、後者が「トゥーカムカリ」(PGH-2)として建造・配備された。当初は計34隻という大量建造も検討されたが、これは実現しなかった[2]。
一方、1960年代後半には、ワルシャワ条約機構軍が保有する大量のミサイル艇に対抗する必要から、NATO各国でミサイル艇を共同開発する構想が生じていた。当時、ソビエト連邦が水中翼船型の1141型小型対潜艦を建造していたこともあり、高速性・機動性の要請から、この計画でも水中翼船型が採択されることになった。このことから、計画名はNATO PHM(Patrol, Hydrofoil, Missile)とされ、1972年11月、アメリカ合衆国、西ドイツ、イタリアの3国協同による開発がスタートした。これに基づいて開発されたのが本級である[4]。
設計
本級の設計はボーイング社によって行われており、同社の「トゥーカムカリ」と同様、全没構造で、前1枚・後2枚のエンテ型配列を採用した水中翼船型とされている。下記の通り、1番艇とそれ以降では建造年度に開きがあることから、主機関や装備では違いがあり、例えば、ガスタービンエンジンの出力は、1番艇では16,000馬力であるのに対し、2番艇以降では19,416馬力に強化されている。ウォータージェット推進器は毎分341,000リットルの吐出量を備えている。これにより、海上公試では55ノットの速力を発揮した[1]。
主兵装は、同社のハープーン艦対艦ミサイルが搭載された。4連装発射筒2基のほか、再装填弾8発の搭載も検討されたが、こちらは実現しなかった。主砲は、オート・メラーラ 76mm コンパット砲のアメリカ版であるMk.75が搭載された。搭載弾数は400発である。その砲射撃指揮装置は、オランダのシグナール社のWM-28をもとにしたアメリカ版が搭載された。1番艇では初期型であるMk.94 Mod.1が、2番艇以降ではオリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲートにも搭載されたMk.92 Mod.2が採用されている。なお、6番艇は、当初は兵装・射撃指揮装置ともに未搭載であり、1983年9月に搭載した[1]。
センサーは、当初はイタリアSMA社の3TM 20-Hのアメリカ版であるAN/SPS-63が搭載されたが、1985年-1986年にかけて、アメリカ海軍で標準的なAN/SPS-64に換装するとともに、アンテナをマスト頂部に移動させた[1]。
なお、厳しい重量軽減の要請から、艤装は非常に簡略で、予備品・用具をはじめとする物資の搭載は最小限に限定されていた。陸上整備や予備品が相当に多くなることもあり、給食・給養を含めて地上部隊への依存が大きく、本艇の戦隊を支援するため、士官7名および、下士官兵181名、トラック73両で編成される後方支援部隊が編成されていた[1]。