ペーター・フォン・ゲルシャウ

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ペーター・フォン・ゲルシャウ男爵、1807年
生地のベーネン城、2012年撮影

ペーター・フォン・ゲルシャウPeter von Gerschau, 1779年10月24日 ベーネン城英語版 - 1852年5月4日 コペンハーゲン)は、帝政ロシアバルト・ドイツ人貴族・官僚。男爵。ロシア語名ピョートル・ペトロヴィチ・ゲルシャウ(Пётр Петрович Гершау)。

クールラント・ゼムガレン公国最後の統治者ペーター・フォン・ビロンと愛妾のアグネス・フォン・デルシャウ(1740年 - 1783年)の間の非嫡出子。母の一族デルシャウ家(Derschau)ドイツ語版の家名を1文字変えただけのゲルシャウ家(Gerschau)ドイツ語版の姓を与えられ、同家の始祖となった。1792年、13歳の時にベルリンの歩兵・騎兵士官学校[1]に寄宿生として入り、そのままプロイセン軍に入隊、近衛ユサール兵連隊に所属した[2]

1807年プロイセン軍を退役してロシア領となったクールラントに帰郷。1809年サンクトペテルブルクに赴き、八等官英語版の位階を得て上級森林監督官に任命される。上級森林監督官及び森林視察監としてフィンランド大公国地域の森林行政を担当した。1814年六等官に昇進し、1816年に在コペンハーゲンのロシア総領事に着任した。

1802年3月1日カロリーネ・ヘンリエッテ・シュミット(1784年 - 1848年)と結婚し、間に14人の子をもうけた。第1子・長女のエミーリエ・フォン・ビンツァードイツ語版(1801年 - 1891年)は女性文学者として活動し、末子のアレクサンダー・フォン・ゲルシャウドイツ語版(1825年 - 1904年)はロシア陸軍の砲兵大将にまで昇った。

著作

引用・脚注

参考文献

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