ペーチ総主教修道院
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総主教修道院の正確な設立年次は不明であるが、聖サヴァの存命中に、この一帯がジチャ修道院(Žiča monastery)のメトー(metoh, 修道院の管轄地)となり、その後セルビア大主教座になったと考えられている。
大主教アルセニイェ1世(Arsenije I)は、より安全で国の中心に近い場所にセルビア教会の中枢を欲して、聖使徒教会を建てた。間もないころにあたる1250年頃に彼はその装飾を命じた。
大主教ニコディム1世(Nikodim I)は1320年頃に聖使徒教会の北に聖デメトリウス教会を建てた。10年ほど後の1330年頃には、彼の後を継いだ大主教ダニロ2世(Danilo II)が、聖使徒教会の南に第3の教会「ホデゲトリアの生神女教会」(the Church of the Holy Virgin Hodegetria)を建てた。彼はその更に南に小さな聖ニコラオス教会も建てた。彼は3つの大教会の前に、記念碑的な拝廊(ナルテックス)を打ち立て、その更に前に塔を建てた。大主教ヨアナキイェ2世(Joanakije II)の時代に当たる1345年ころに、それまでは装飾のなかった聖デメトリウス教会が、フレスコ画で飾られた。
14世紀を通じて、聖使徒教会に若干の修正が加えられ、のちに装飾が加えられた箇所もある。13世紀から15世紀まで、それと17世紀には、ペーチの総主教と大主教は、この総主教修道院内の教会に葬られた。
