ペーテル・マッテイ
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ペーテル・マッテイは1965年6月3日、スウェーデンのノールボッテン県ピーテオに生まれる。スウェーデン王立音楽アカデミー卒業後、1990年にドロットニングホルム宮廷劇場でモーツァルト『偽の女庭師』のロベルト(ナルド)でデビュー[2][3]。1994年から1995年のシーズン、マッテイはヨーテボリ歌劇場で初めてドン・ジョヴァンニを歌い、同じシーズンにはスウェーデン王立歌劇場にも出演して『フィガロの結婚』のフィガロを初めて手掛けた[2]。1995年には初めてスウェーデン国外で公演を行い、グラスゴーのスコティッシュ・オペラでドン・ジョヴァンニを歌い、続けてブリュッセルのモネ劇場とフランスのエクサン・プロヴァンス音楽祭にも出演を果たす[3][4]。
1996年夏、マッテイはザルツブルク音楽祭に初出演し、ゲオルク・ショルティ指揮のベートーヴェン『フィデリオ』のドン・フェルナンドを歌い[4]、1997年2月にはクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会で、スウェーデンの先輩歌手アンネ・ゾフィー・フォン・オッターらとともにJ.S.バッハ『マタイ受難曲』のソリストを務めた[4][5]。続くシーズン、マッテイはストックホルムでモーツァルト『魔笛』のパパゲーノとチャイコフスキー『オルレアンの少女』のライオネル、モネ劇場でリヒャルト・シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』のハーレクインを手掛け、コンサートの方でもアバド指揮ベルリン・フィルとは1997年8月にザルツブルク音楽祭での『マタイ』と12月の定期演奏会でのマーラー『さすらう若者の歌』で共演[4][5]。1999年から2000年のシーズンでは、ヨーテボリでロッシーニ『セビリアの理髪師』のフィガロ、モネ劇場でチャイコフスキー『エフゲニー・オネーギン』のオネーギンを初めて演じ、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団とJ.S.バッハ『ヨハネ受難曲』、リッカルド・シャイーの指揮でミラノとアムステルダムで『マタイ』を歌った[4]。
2002年1月、マッテイは初めてメトロポリタン歌劇場(メト)の舞台に立ち、『フィガロの結婚』のアルマヴィーヴァ伯爵を歌う[6]。メトではその他ドン・ジョヴァンニ、『理髪師』のフィガロ、プッチーニ『ラ・ボエーム』のマルチェロ、チャイコフスキー『スペードの女王』のプリンス・イェレツキーおよびヤナーチェク『死者の家から』のシシュコフを演じた[6]。特に『死者の家から』は、作品のメト初演と指揮者エサ=ペッカ・サロネンのメト・デビューを飾る記録すべき上演であった[6]。2004年には、スウェーデン王室から「王室宮廷オペラ歌手」の称号を拝した[2]。2010年にはルツェルン音楽祭に初めて登場[2]。2011年12月、マッテイはスカラ座の舞台に十八番のドン・ジョヴァンニで初めて立つこととなったが、これはシーズン開幕公演であり、しかも新演出による上演でもあった[7][8]。
マッテイは2013年2月から3月のメトでの公演で、ダニエレ・ガッティの指揮によるワーグナー『パルジファル』のアンフォルタスに初挑戦した[9][10]。メトにおいては2013年から2014年のシーズンにオネーギンを歌う予定となっており、またマッテイは自分のレパートリーのうち、ヴェルディ『ドン・カルロ』のロドリーゴを含むスカンディナヴィア以外では歌っていないレパートリーを披露することを検討しており、またワーグナー『指環』のヴォータンを手掛ける予定があることも明かしている[9]。