ヴェステルイェートランド地方のHålanda sockenに生まれた。1745年にウプサラ大学に入学し、カール・フォン・リンネの学生となった。1750年から1752年の間、船に乗り込む牧師となって、中国、東アジアを旅した。広東近くやジャワ島を訪れ、スウェーデンに戻るときには900種の新種植物をリンネに持ち帰った。1757年に中国への旅行記、『東インド旅行の日記』("Dagbok öfwer en ostindisk Resa åren")を出版し、これはドイツ語、英語に翻訳された[1]。1760年にハッランド県のHasslövに教区司祭に任命され、1773年に首席司祭、1778年に神学博士となった。
1758年からスウェーデン王立科学アカデミーの会員となり、Kungliga Vetenskaps- och Vitterhetssamhället i Göteborgの設立会員である。
ノボタン科の属名、ヒメノボタン属 (オスベッキア:Osbeckia)に献名された。