ホセ・アパリシオ

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生誕 (1773-12-16) 1773年12月16日
スペイン、アリカンテ
死没 1838年5月10日(1838-05-10)(64歳没)
スペイン、マドリード
ホセ・アパリシオ
José Aparicio
自画像と推定されている作品 (1820)
生誕 (1773-12-16) 1773年12月16日
スペイン、アリカンテ
死没 1838年5月10日(1838-05-10)(64歳没)
スペイン、マドリード
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ホセ・アパリシオ・エ・イングラダ(José Aparicio e Inglada 、1773年12月16日 - 1838年5月10日)は、スペインの画家である。フランス革命後の政治的に不安定な時期のスペインで活動した画家で、スペイン国王フェルナンド7世の宮廷画家になった。

バレンシアアリカンテで生まれた。バレンシアの王立サン・カルロス美術アカデミー(Real Academia de Bellas Artes de San Carlos de Valencia)で学び、1793年に絵画部門で主席となった後、マドリード王立サン・フェルナンド美術アカデミーで学んだ。

フランス革命軍とスペインの間の和平に関する場面のマヌエル・デ・ゴドイカルロス4世を描いた1796年の作品が認められて、国王からパリローマでの修行に助成金を得た[1]。パリで、新古典主義の画家、ジャック・ルイ・ダヴィッドから教えを受けた最初のスペイン人学生となった。1805年の展覧会で金メダルを受賞し、1807年にはローマへ修行に出た。1808年にスペイン国王に即位したジョゼフ・ボナパルト(ホセ1世)に忠誠を誓うのを拒否したためローマのサンタンジェロ城に事実上の囚人として収監された[2]1813年10月のマドリードコルテス (身分制議会)とそのすぐ後にナポレオンヴァランセ条約でフェルナンド7世をスペイン国王として承認したことからアパリシオは自由を取り戻した後、スペインに呼び戻され、1815年にスペインに着いた。数か月後にフェルナンド7世の宮廷画家に任命され[1]、マドリードに住んだ。翌年から愛国的な題材の作品を描き始めた[3]

1829年に王立サン・カルロス美術アカデミーの功労会員に選ばれ、その後王立サン・フェルナンド美術アカデミーの校長となった。歴史画やスペインの貴族や軍人の肖像画でも知られるようになった。

1833年にフェルナンド7世が亡くなった後、成立した自由党政府に嫌われ退職を余儀なくされた。年金を受け取ることはできたが、支払いを予定通り受け取るためには交渉をしなければならなかったとされる[2]。1834年に64歳でマドリードで貧困の中で亡くなったとされる。

作品

脚注

参考文献

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