ホセ・アリゴー
From Wikipedia, the free encyclopedia
小学校を3年で落第しており[3]、医学的な教育も全く受けていない人物だが、1955年から1971年にかけて、コンゴーニャスに診療所を構え、毎日数百人の患者たちを相手に、心霊手術とされる医療行為を行なった[7](後述)。
アリゴーの行為は「奇跡の治療」と呼ばれ、治療を求める人々がブラジル全土から訪れた[2]。第22代ブラジル連邦共和国大統領であるジュセリーノ・クビチェックも、娘がアリゴーの診察により完治したと証言している[8]。アリゴーにより視力を回復した、悪性腫瘍が取り除かれたと主張する患者の数は数百人に昇る[6]。一方でアリゴーは、彼らから治療費をとることは一切なかった。善意の患者たちが彼に治療費を送ったこともあり、その総額は84万ドルに昇るが、アリゴーはその全額を送り返した[2]。
1957年にはブラジル医師会により偽医者と告発され、実刑判決を受けた[6]。一度はクビチェックの特赦により刑が免除されたものの、彼の辞任後の1964年に刑が執行され、刑務所へ収容された[9]。彼の患者をはじめとする貧民層からは、医師会への抗議が殺到した[6]。「アリゴーが無罪放免にならなければ自殺する」との手紙を送りつけた女性もいた[10]。心霊主義者数百人がアリゴーの救出のために刑務所襲撃を企て、アリゴーに諌められる一幕もあった[10]。実際には刑務所内では、アリゴーは囚人たちの暴動を鎮めたり、所内の環境改善に努めるなどの活躍により所員たちから感謝を受け、治療行為のために自由な外出を許可されていた[10]。翌1965年、釈放[10]。
1971年1月11日、交通事故で死去。その約2週間前の1970年末には、周囲に「間もなく自分は死ぬ」「地上での使命が終わる」「もうお前とは会えなくなる」などと漏らしていたと伝えられている[2][11]。
アリゴーの死は、ブラジル中の新聞でトップニュースとして報じられた。現地の者たちはアリゴーの死を知り「この村は父親を失った」「この村は終わりだ」などと言い合った[11]。現地では2日間の服喪が宣言され、弔意を示すための半旗が掲げられ、葬儀の間は店やバーが閉店になった[11]。ブラジル中から集った弔問客は1万人以上とも2万人以上ともいわれており、その中には、息子の眼病をアリゴーに治療してもらったといわれるブラジルの国民的歌手ロベルト・カルロスの姿もあった[11]。