ホセ・アルバレス・クベロ

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 (1768-04-23) 1768年4月23日
スペイン、プリエゴ・デ・コルドバ(Priego de Córdoba)
死没 1827年11月26日(1827-11-26)(59歳没)
スペイン、マドリード
ホセ・アルバレス・クベロ
José Álvarez Cubero
フアン・アントニオ・リベーラの原画による肖像画 (1835)
生誕 (1768-04-23) 1768年4月23日
スペイン、プリエゴ・デ・コルドバ(Priego de Córdoba)
死没 1827年11月26日(1827-11-26)(59歳没)
スペイン、マドリード
テンプレートを表示

ホセ・アルバレス・クベロ(José Álvarez Cubero、1768年4月23日 - 1827年11月26日)は、スペインの彫刻家である。1799年から1826年の間はパリやローマで活動し、新古典主義の彫刻家として活動した[1]

アンダルシアのプリエゴ・デ・コルドバ(Priego de Córdoba)で石彫り職人の息子に生まれた。地元で学んだ後、1791年からコルドバでフランス出身の彫刻家ミゲル・ヴェルディギエ(Miguel Verdiguier)に学び、マドリード王立サン・フェルナンド美術アカデミーで学んだ。

1799年7月にスペイン国王カルロス4世の王室から奨学金を受けて、パリに留学しジャック=ルイ・ダヴィッドの工房で学んだ。在パリのスペイン大使で美術収集家のホセ・ニコラス・デ・アサラ(José Nicolás de Azara, 1730-1804)を通じて、彫刻家のオーギュスタン・パジューと親しくなった。ルーヴル美術館近くのパジューの邸宅に住み、パリの芸術家と交流し、様々なコンクールに参加し、1804年に芸術アカデミーのコンクールで金メダルを受賞し、皇帝になって間のないナポレオン・ボナパルト隣席でメダルを受けた。

1805年にからローマに移り、彫刻家アントニオ・カノーヴァと親しくなった。その後20年間、ローマで活動し、カノーバの助手も務めた、1808年に退位しローマに亡命してきたカルロス4世の宮廷彫刻家にもなった。ローマではジョゼフ・ボナパルトがスペイン国王に即位するのに反対したことで逮捕されたこともある[2]。ナポレオンの失脚した後、1816年からはスペイン国王フェルナンド7世の宮廷彫刻家に任じられた[2]

1826年に帰国し、マドリードに戻った後、王立サン・フェルナンド美術アカデミーで教え、多くの彫刻を制作した[3]。1827年に53歳でマドリードで亡くなった。

息子のホセ・アルバレス・ブーケル(José Álvarez y Bouquel: 1805-1830)は彫刻家になり、アニバル・アルバレス・ブーケル(Aníbal Álvarez Bouquel: 1809-1870)は建築家になった。

作品

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI