ホセ・マリア・ベラスコ・ゴメス・オブレゴン
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メヒコ州のテマスカルシンゴ(Temascalcingo)で5人兄弟の長男に生まれた[1]。1849年に家族とメキシコシティに移るが、その数か月後に父親はコレラのために亡くなった。衣料店で働きながら、学校で学び、美術の才能が認められて、支援者が現れ、1855年からメキシコシティの美術学校、アカデミア・デ・サン・カルロス(Academia de San Carlos)の夜間コースで学ぶことができた。アカデミーではイタリア出身の画家エウジェーニオ・ランデシオ(Eugenio Landesio: 1810–1879)の風景画の授業を受けた[2]。厳しい経済状況であったが1860年に、アカデミーで絵画コンクールが開かれ、奨学金を得ることができ修行を続けられた。
1868年から、アカデミーの教授になり、その年結婚した。1877年にエウジェーニオ・ランデシオがイタリアに帰国した後、風景画の教授を継いだ。
1874年と1876年のメキシコ全国美術展で金賞を受賞し、1878年のフィラデルフィア万国博覧会の展覧会に参加し、1889年のパリ万国博覧会には、展覧会に参加する芸術家の代表を務め、自らも多くの作品を出展し[2]、フランス政府からレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した。1893年のシカゴ万国博覧会にも参加した。
晩年は心臓病を患ったが精力的に作品を描き続けた。1902年、アカデミーの教授職から退職した。1912年にメキシコシティで72歳で亡くなった。
1992年にメヒコ州のトルーカにホセ・マリア・ベラスコ風景画美術館(Museo del Paisaje José María Velasco)が設立された。