ホセ・ワタナベ
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両親
ペルーのラ・リベルタ県のトルヒーリョに近いラレドに生まれる。父の渡辺春水(Harumi Watanabe)は日本の岡山県上房郡高梁町に生まれ、1916年にペルーの首都であるリマへ移住しサトウキビ農園で働いた。その後第二次世界大戦が勃発し、強制送還を避けるため、内陸にあるラレドに逃れ同地のサトウキビ農園の労働者となり、サトウキビ農園の地主宅でホセ・ワタナベの母親であるメスティーソのペルー人パオラ・バラス・ソト(Paula Varas Soto)と知り合い結婚する[1]。
前半生
ホセ・ワタナベは十一人兄弟の七番目の子として生まれる。中学校までは、劣悪な生活環境の中で生活し疫病により二人の兄弟と多くの友人を失った。しかし父が宝くじを当てたことにより生活は一変し、ペルー北部の経済中心地であるトルヒーリョに移住しサンフアン・デ・トルヒーリョ国立高等学校に入学した。しかし、癌で父を亡くし、その一か月後に初恋の相手マルハも心臓発作で亡くなった。2人の死への思いからホセ・ワタナベは始めた詩を書いた。その後リマのフェデリコ・ビジャレアル国立大学で建築学を専攻していたが、リマでの生活に馴染めず2年後に退学した。その後文学の道を志し、図書館に通いペルー文学の名作に触れ独学で文学を学んだ[1][2]。
詩人として
1970年に処女作である詩集家族のアルバム (Álbum de familia)を発表して、ペルー若手詩人賞を受賞した。70年代の詩世代の一人してペルー文壇に登場した。1973年に国立遠隔教育研究所に採用されしばらく文壇から遠ざかっていたが1986年に西ドイツで肺癌の放射線治療を受けた。しかしその後の経過観察期間で抑鬱による記憶喪失を患い、自ら記憶を取り戻すため、詩作を始め、1989年に二作目の詩集言葉の紡錘(El huso de la palabra)を発表した。2000年に発表した詩集氷の番人(Guardian de hielo)はキューバの文学賞であるカサ・デ・ラス・アメリカス賞を受賞した[3]。
脚本家として
ホセ・ワタナベは映画脚本家としても活動しており、マリオ・バルガス・リョサの小説を原作とした都会と犬どもカンヌ国際映画祭に選出された。他にもラ・グリンガはボゴタ国際映画祭で最優秀作品賞を受賞するなど脚本家としても国際的に評価されている[4][3]。
晩年
晩年は絵本の執筆に力を入れ11冊出版した。2007年4月25日61歳でリマにて死去した。死後にホセ・ワタナベを記念した、ホセ・ワタナベ・バラス文学賞(Premio José Watanabe Varas)が設立された[1]。