ホセ・ワタナベ

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現地語名 José Watanabe
死没 (2007-04-25) 2007年4月25日(62歳没)
ペルーの旗 ペルー リマ
ホセ・ワタナベ
現地語名 José Watanabe
誕生 (1945-03-17) 1945年3月17日
ペルーの旗 ペルー ラレドスペイン語版
死没 (2007-04-25) 2007年4月25日(62歳没)
ペルーの旗 ペルー リマ
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ホセ・ワタナベスペイン語: José Watanabe1945年3月17日 - 2007年4月25日)は、ペルー詩人脚本家絵本作家[1]

両親

ペルーのラ・リベルタ県トルヒーリョに近いラレドスペイン語版に生まれる。父の渡辺春水(Harumi Watanabe)は日本岡山県上房郡高梁町に生まれ、1916年にペルーの首都であるリマへ移住しサトウキビ農園で働いた。その後第二次世界大戦が勃発し、強制送還を避けるため、内陸にあるラレドに逃れ同地のサトウキビ農園の労働者となり、サトウキビ農園の地主宅でホセ・ワタナベの母親であるメスティーソペルー人パオラ・バラス・ソト(Paula Varas Soto)と知り合い結婚する[1]

前半生

ホセ・ワタナベは十一人兄弟の七番目の子として生まれる。中学校までは、劣悪な生活環境の中で生活し疫病により二人の兄弟と多くの友人を失った。しかし父が宝くじを当てたことにより生活は一変し、ペルー北部の経済中心地であるトルヒーリョに移住しサンフアン・デ・トルヒーリョ国立高等学校スペイン語版に入学した。しかし、で父を亡くし、その一か月後に初恋の相手マルハも心臓発作で亡くなった。2人の死への思いからホセ・ワタナベは始めた詩を書いた。その後リマのフェデリコ・ビジャレアル国立大学スペイン語版建築学を専攻していたが、リマでの生活に馴染めず2年後に退学した。その後文学の道を志し、図書館に通いペルー文学の名作に触れ独学で文学を学んだ[1][2]

詩人として

1970年処女作である詩集家族のアルバム (Álbum de familia)を発表して、ペルー若手詩人賞スペイン語版を受賞した。70年代の詩世代スペイン語版の一人してペルー文壇に登場した。1973年国立遠隔教育研究所スペイン語版に採用されしばらく文壇から遠ざかっていたが1986年西ドイツ肺癌放射線治療を受けた。しかしその後の経過観察期間で抑鬱による記憶喪失を患い、自ら記憶を取り戻すため、詩作を始め、1989年に二作目の詩集言葉の紡錘(El huso de la palabra)を発表した。2000年に発表した詩集氷の番人(Guardian de hielo)はキューバ文学賞であるカサ・デ・ラス・アメリカス賞スペイン語版を受賞した[3]

脚本家として

ホセ・ワタナベは映画脚本家としても活動しており、マリオ・バルガス・リョサの小説を原作とした都会と犬どもスペイン語版カンヌ国際映画祭に選出された。他にもラ・グリンガスペイン語版ボゴタ国際映画祭スペイン語版で最優秀作品賞を受賞するなど脚本家としても国際的に評価されている[4][3]

晩年

晩年は絵本の執筆に力を入れ11冊出版した。2007年4月25日61歳でリマにて死去した。死後にホセ・ワタナベを記念した、ホセ・ワタナベ・バラス文学賞(Premio José Watanabe Varas)が設立された[1]

作品

脚注

参考文献

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