ホテル百万石
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明治40年に吉田初治郎が花屋旅館として開業[1]。1954年に、病身の二代目に代わり、その息子の吉田豊彦(彦根高等商業学校(現 滋賀大学経済学部)、一橋大学卒)が東レを退職して花屋旅館の経営に就いた[1]。それまでは小規模な二流旅館だったが、1956年に増築した円形の百万石風呂が当たり、1959年には山代温泉一の売上を誇る旅館となった[1]。
1962年に1200坪の新たな土地を購入し、別館としてホテル百万石(客室27室)を開業、1967年に円形の大型プールを完成させ、人気を集めて利益は倍増したが、1975年に本館新館ともに全焼、翌年社名をホテル百万石に改称し、花屋旅館を売却してホテルを再建、敷地は2万坪に達し、「お祭り広場」や「御殿風庭園風呂」などさまざな工夫を凝らし、1982年に数奇屋風別館「梅鉢亭」、1985年に南館を相次いで開業して収容人員は1100名規模となり、1986年には売上66億円、従業員360人という日本一の温泉旅館に成長させた[1]。1983年には昭和天皇が別館梅鉢亭の特別室に宿泊し、全国的に名門旅館としての知名度を上げた[2]。
その後もスパリゾート施設「SPA百万石浴殿」を開業し、最盛期の1991年には年商約88億を上げた[2]。大旅館に育てた吉田豊彦が没したのちは弟の吉田博示が社長を引き継ぎ、1996年には熱海に豪華リゾートホテル「あたみ百万石」を開業するなど事業拡張を続けた[3]。
しかし、バブル崩壊後の長引く不況などにより、業績不振となり、旅館の営業は「百万石アソシエイト」に移管された[2]。2008年に債権者が破産を申し立て、2010年に北国リゾート(「ホテル百万石」の建物を管理する不動産管理会社。1960年設立、代表・吉田美喜)が金沢地裁から破産手続き開始の決定を受けた[4]。負債総額は約97億1900万円だった[4]。
その後も百万石アソシエイトが運営を継続していたが、2012年7月、金沢地裁が北国リゾートの破産管財人への旅館明け渡しを認めた決定を出し、同年9月から休業となった[5]。2013年には、ホテル百万石の従業員の賃金計約7700万円を支払わなかったとして、百万石アソシエイトと同社の佐々木真二社長が最低賃金法違反の疑いで小松区検から書類送検され、社長は容疑を認めた[5]。