ホルヘ・ソレギエタ
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軍事独裁政権への関与
1960年以降、ソレギエタはアルゼンチンの大地主階級を代表する経済団体で様々な要職に就いていた。アルゼンチン農村連合会(CRA)やアルゼンチン農業協会(SRA)の書記、さらには農業団体調整委員会の会長などを務めた。
ソレギエタはアルゼンチン農業協会(SRA)の積極的なメンバーであり、政府に対するロビイストでもあった。
「1976年には民間勢力がさらに踏み込んだ行動をとった。完全に独裁のためだけに、APEGE(企業労働団体総連合)を設立し、大企業グループと農業協会が結集した。そこで中心的役割を果たしたのが、ホルヘ・アグアド、ホルヘ・ソレギエタ、アルマンド・ブラウン、セレドニオ・ペレダ、オスバルド・コルニデなどだった。」 ——ビセンテ・ムレイロ『1976年:民間によるクーデター』
彼は以下の三つの主要ポジションを通して、地主階級の利益を守る中枢人物となった。
- 極右の自由企業団体「ACIEL」の会計担当。
- アルゼンチンの主要農業団体をまとめる農業団体調整委員会の会長。
- 1975年9月、影響力の強いアルゼンチン農業協会(SRA)の事務局長に就任(これがビデラ政権入りのきっかけとなった。)
その立場から、ソレギエタは経済相ホセ・アルフレド・マルティネス・デ・オスと共に、当時の大統領イサベル・ペロン政権の不安定化を図り、1976年3月24日の軍事クーデターに加担。このクーデターにより、「国家再編プロセス」と呼ばれる独裁政権が始まった(1976年~1983年)。
政権下では、農業次官(1976–1979)を務めた後、**農業・畜産大臣(1979–1981)に昇格。また、国営穀物委員会の会長も兼任した。
人権侵害との関連
1976年12月21日、若い学生リディア・アミーゴが、ラ・プラタ大学建築学部で軍に拉致された。彼女の父アルベルト・アミーゴは、それまで農業次官だったが、クーデターによってソレギエタに交代されていた。アミーゴは娘の件でソレギエタに助けや情報を求めたが、ソレギエタは何もしなかったとされる。
民主政権下での活動
その後ソレギエタは、ワシントンD.C.に本部を置く国際農業・食料・貿易政策評議会(IPC)のメンバーとなり、国際農業政策の議論に参加した。
2008年には、以下の要職を務めていた:
- アルゼンチン製糖業センター(CAA)会長
- 食品産業調整機構(COPAL)会長
- バスク系アルゼンチン人財団「フアン・デ・ガライ」会長
しかし、2009年、キルチネル派の国会議員らの提案により、ソレギエタが受け取っていた特権年金(月額1650ドル、当時の為替で4420ペソ)は、独裁政権に加担したことを理由に剥奪された。