ホワイト・トリプレックス
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ホワイト・トリプレックス(英:White Triplex)は、自動車による速度記録を目的に造られたアメリカ合衆国の競技用車両である。1929年4月から約11ヶ月間に渡って世界記録を保持した。「トリプレックス」という名称は3基の巨大なエンジンに由来する。
1919年2月12日、アメリカのラルフ・デ・パルマ(1882-1956)がパッカードV12で時速241.2キロの記録を樹立したあと、1920年代になると舞台はイギリスに移り、マルコム・キャンベルやヘンリー・シーグレイブなどが中心となって次々に速度記録を塗り替えていた。
そこで再びアメリカに勝利を取り戻そうと立ち上がったのがフィラデルフィアの富豪、ジェームズ・H・ホワイトであった。自動車レースの知識はほとんど持っていなかったが、電線事業で成功して得た莫大な資産を投入し「ホワイト・トリプレックス」のプロジェクトを立ち上げた。
車両の開発
速度を追求するにあたり、ホワイトのチームは洗練された車体設計よりも圧倒的なパワーを優先し、航空機用に開発された27リッター水冷式V型12気筒のリバティL-12エンジンを3基使用することにした。エンジンは車体前方に1基と運転席のすぐ後ろに2基並べて配置されており、前部エンジンから操縦席までは緑色に塗られた粗雑な作りのアルミボディで覆われるが、後部の2基はむき出しだった。重量は約4トン、総排気量81リッター、最高出力は1,300~1,500馬力と推測される[1]。


スターターモーターが無いため押しがけでエンジンを始動する。3基のエンジンはそれぞれ単一ギアでアクセルシャフトに直結しており、クラッチや変速機も無いためエンジンが回っているときは動き続けなければならなかった。減速用のブレーキは後輪のみに付いていた。
最もユニークな機構は、競技規則にある「自力で後退が可能であること」を満たすための後退装置である。開発当初は電気モーターの軸をタイヤに押し当ててエンジン停止状態でタイヤを回そうと考えていたが、実際に試してみると36本あるシリンダーの圧縮抵抗が大きすぎて全く回らなかった。最終的に車体後端にまるで6輪車のように見えるモーター駆動の後退用タイヤを付け足した。操縦席のレバーを引くと後退用タイヤが接地し、主駆動輪を僅かに浮かせることで後退を可能にした。
ドライバーにはインディアナポリス500で優勝経験のあるレイ・キーチが選ばれた。
新記録の樹立
1928年にフロリダ州デイトナビーチで開催された第26回大会は、イギリスから来たマルコム・キャンベル(イギリス製のネイピア・ブルーバード 23.9リッターW型12気筒エンジン)、フランク・ロックハート(スタッツ・ブラックホークスペシャル 2.98リッターV型16気筒エンジン)、そしてレイ・キーチ(ホワイト・トリプレックス)の3名によって地上最速の競争が繰り広げられた[2]。実走行の日には5千人を超える見物客が集まった。
まず2月19日にマルコム・キャンベルが時速333.05キロを叩き出し世界記録を更新した。彼は地上で時速200マイル(321.87キロ)を突破した初めての人物となった。
デイトナビーチに運び込まれたホワイト・トリプレックスは、検査員の前で時速1.6キロという人が歩くよりもゆっくりと後退するのを見せたあと、後退装置はすぐに取り外されたが、規定通りのことは行なわれたので合格と判定された。テスト走行の際、ラジエーターホースが破裂してキーチは高温の冷却水を浴び、さらに前方エンジンの排気炎がコクピットを襲ったため両腕に火傷を負い病院で手当てを受けた。
キャンベルが記録更新した2ヶ月後の4月22日、キーチが操縦するトリプレックスは時速334.02キロの新たな陸上速度記録を達成した。

その3日後の4月25日にスタッツ・ブラックホークのフランク・ロックハートが挑戦したが、最高速度は時速327.42キロに留まった。この日の4回目の走行で後輪タイヤがバーストして横転し、26歳のロックハートは砂浜に投げ出されて即死した[3]。※スタッツの事故映像

