ボリビアの音楽
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歴史
歴史的にはインカ帝国の勢力圏にあった地域であり、帝国内で主流派だったケチュア、政治・経済の中心であるアルティプラノの高原地帯の文化が基層となっている[1][2]。16世紀以降にスペインの侵略・植民地化が始まるが、人口面でケチュア・アイマラといった先住民系が多数を占め続けたため、地域固有の音楽文化が残り、そこにスペイン由来の弦楽器などを取り込む形で独自の発展を遂げていった[1][2]。
スペイン植民地時代には、スペインのビウエラなどを基にチャランゴといわれる弦楽器が生まれたほか、伝統舞踊であるワイニョの楽曲にもヨーロッパ的な拍子の概念が移入され、現代でいうフォルクローレの源流となる[3][4]。また、東部では、ポトシの銀鉱山開発のためにキューバなどから黒人労働者が流れたことで、アフリカ音楽との接点ができ、タキラリなどの独自の音楽様式が生まれていく[1]。
ボリビアの独立後、19世紀後半には都市部でクエカが流行する[5]。1932年に開戦したチャコ戦争で先住民系の兵士を鼓舞するための軍楽隊が編成されるなど、国家の象徴・国民統合のために音楽が重要視されるようになっていく[6]。同時期には、アポリナル・カマチョの『我が祖国ボリビア』といったボリビア全域で知られる愛唱歌が生まれる[5]。
1960年代以降は、フォルクローレの商業化も進んでいく[3][4]。その転機点とされるのがロス・ハイラスの登場であり、チャランゴやケーナなどの伝統的な民俗楽器を西洋音楽の音階に調律して演奏していく手法は、ヨーロッパで人気を獲得し、それが逆輸入される形でボリビア国内にも広まっていった[7]。同グループの成功を機に、4人から6人程度の楽団編成で、伝統的な民俗楽器を現代的なアレンジも加えながら演奏していくスタイルが定着する[3][4]。また、1969年にラパスでカポラレスが誕生すると、各地のカーニバルに広まっていく[8]。
音楽様式
ボリビアの音楽文化を地域別にみると、ケチュア・アイマラなどのアンデス文化に属する西部、モホなどのアマゾン文化に属する東部、スクレなどのその中間地域で、使用する楽器や演奏法に違いがあり、各地域で固有の音楽文化が形成されている[9]。ボリビア内では、各地域の音楽文化を、ムシカ・アルティプラニカ、ムシカ・オリエンタル、ムシカ・バジューナと区別する[10]。また、ユンガス地方のアフロボリビア独自の音楽文化としてサヤ (音楽)がある[8][11]。
ムシカ・アルティプラニカをはじめとするアンデス音楽の中で用いられる代表的な楽器として、ケーナ、チャランゴ、サンポーニャ、ピンキージョがある[1]。また、アフロボリビアのサヤは、弦楽器や管楽器を使用せず、大小の太鼓によるパーカッションとギロに似たクワンチャという楽器でリズムを刻む[8][11][12]。1980年代以降、民俗楽器の商品化も進み、アイキレのように楽器製造を地場産業とする都市も生まれていく[13]。
1960年代から1970年代に、ロス・ハイラスやロス・カルカスが世界的に成功したことを受け、ボリビア国外では、これらのグループ演奏スタイルがフォルクローレという音楽ジャンルの代表例のように扱われるようになる[3][4]。他方で、1960年代以降のフォルクローレは商業化した観賞のための音楽という面もあり、伝統的な舞踊のためのフォルクローレとは異なる点も少なくない[3][4]。後者のフォルクローレをアウトクトナと区別する[4][14]。ロス・ハイラスが生み出したフォルクローレは、1970年代時点では前衛的な新しい音楽という位置づけだったが、2010年代には、学校で習う音楽、ときにノスタルジーの対象ともなるほどにボリビア国内に根付いていく[15]。