ボーンズ・マッキニー
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| 故人 | |
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| ポジション | SF |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1919年1月1日 |
| 没年月日 | 1997年5月16日(78歳没) |
| 出身地 | ノースカロライナ州ローランド |
| 身長(現役時) | 198cm (6 ft 6 in) |
| 体重(現役時) | 84kg (185 lb) |
| キャリア情報 | |
| 出身 |
ノースカロライナ州立大学 ノースカロライナ大学 |
| 選手経歴 | |
| 1946-1951 1951-1952 |
ワシントン・キャピトルズ ボストン・セルティックス |
| 指導者経歴 | |
| 1950-1951 1957-1965 1969-1971 |
ワシントン・キャピトルズ ウェイクフォレスト大学 カロライナ・クーガース |
| 受賞歴 | |
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選手時代
コーチ時代
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Stats Basketball-Reference.com | |
ホーレス・アルバート・"ボーンズ"・マッキニー(Horace Albert "Bones" McKinney, 1923年9月19日 - 1989年10月18日)は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手、指導者。身長198cm、体重84kg。ポジションはスモールフォワード。
ノースカロライナ州ローランド出身。ノースカロライナ州立大学在学時に徴兵されて第2次世界大戦に従軍し、終戦後はノースカロライナ大学に転籍した。1946年、BAAのワシントン・キャピトルズに入団した。1年目は平均12.0得点でチームの勝率1位に貢献し、チームメイトのボブ・フィーリックとともにオールBAA1stチームに選ばれた。自己最高の平均12.7得点をあげた1948-49シーズンはオールBAA2ndチームに選出され、BAAファイナルに進出したが、ミネアポリス・レイカーズに敗れた。1950-51シーズンに監督兼任となったが、最初の35試合で10勝25敗に留まり、財政難に陥っていたキャピトルズは解散した。ボストン・セルティックスに移籍した後、1952年に現役引退した。BAA及びNBAでの成績は、318試合の出場で通算2,994得点(平均9.4得点)であった。
1957年から1965年まではウェイクフォレスト大学のヘッドコーチを務めた。1962年に学校史上唯一のNCAAトーナメントファイナル4進出を果たし、カンファレンス最優秀コーチに2度選ばれた。1969年にABAのカロライナ・クーガースのヘッドコーチに就任し、1年目は42勝をあげてプレーオフに進んだが、インディアナ・ペイサーズに4連敗して終えた。翌1970-71シーズンは開幕から17勝25敗となったところで解雇された。NBAとABAを合算したコーチ戦績は、69勝92敗(勝率.429)であった。
その後はカレッジバスケットボールの解説者として長く活躍したほか、南部バプテスト連盟に所属する牧師としても活動していた。1997年、78歳で死去。