ポンニャは1812年に現在マグウェ地方域に属するサレーの町の首長として有名であった一家に生まれ、アマラプラ(英語版)の修道学校で学んだ[6]。
その後、出家と還俗を繰り返しながら宮廷に仕えた[1]。このとき、特に訓話を作る宮廷劇作家として知られていた[2]。また、ポンニャは当時王であったミンドン・ミンに宮廷詩人の一人として仕えた[4]。1850年代にはカナウン・ミンタ(英語版)王子の教育に加わったことで名声を獲得し、その文才で知られるようになった[6]。
1867年には宮廷内で謀反が発生し、連座として処刑された[1]。