パリで生まれた[1][2][3]。女性画家も多く教えた歴史画家のジャン=バプティスト・ルニョーの学生の一人となった[2]。同時期にルニョーに絵を学んだ女性画家にはソフィー・ギルマール(Sophie Guillemard)や ウジェニー・デルポルト(Eugénie Delaporte)、カロリーヌ・ドゥリニー(Caroline Derigny)、アンリエット・ロリミエ(Henriette Lorimier)らがいる。フランス革命の後、パリのサロンが王立絵画彫刻アカデミーの会員以外の芸術家の出展も認められるようになっていた1893年に初めてサロンに出展し[2] 、その年の暮、商人のシャルル=マリー・オーズー(Charles-Marie Auzou)と結婚し[4]、愛称のポーリーヌと夫の姓とでポーリーヌ・オーズーとして活動した。
初期の作品では、肖像画やギリシャの歴史や神話を題材にした作品を多く描き、1790年代後半から1800年代のはじめには、日常生活の中の女性や子供たちを題材とした。1800年以降は、ドミニク・アングルの影響がみられるとされる。この時期の代表作は1804年に描かれた『初めてのおめかしの気分(Le premier sentiment de la coquetterie)』があり、母親のドレスやアクセサリーをつけて鏡を見る少女を描いている。1806年にパリのサロンで一等のメダルを受賞した。1808年に最高芸術家メダル(medaille de première classe)を授与された。
帝政時代のフランス政府などから注文を受けて、同時代の歴史的な出来事を題材にした作品も描いた。その中には1810年にフランス皇帝ナポレオン1世と結婚式を挙げたマリア・ルイーザのコンピエーニュ到着を祝う人々を描いた作品があり、1914年にフランスに帰国したシャルル10世を描いた作品もオーズー作と推定されている。
1817年までパリのサロンに出展を続けた。若い女性のための美術学校を20年ほど運営した[5][6]。版画も制作し、版画集『Têtes d'études』パリの出版社Didotから出版された。
1835年にパリで亡くなった[1]。