ポール・コーダー
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コーダーはロンドンのピムリコで、音楽家のフレデリック・コーダーと妻のヘンリエッタ・ウォルフォード(Henrietta)の間に生まれた。彼は1880年3月1日にロンドンのセント・ゲイブリエル教会[注 1]で洗礼を受けている。彼は王立音楽アカデミーにおいて父の指導の下で学び、1901年に作曲のゴーリング・トーマス奨学金を受けた。1907年には作曲と和声学の教授としてアカデミーの教員に加わった[1]。
彼の叔母のローザ・コーダーはダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの肖像画を描いており、コーダーはラファエル前派の運動に強く影響を受けていた。彼の作品にはオペラ、バレエ、カンタータ、ピアノ曲などがある。彼の管弦楽作品の多くは未出版のままとなっており知られていないが、鍵盤楽曲には出版されていくらか認知されているものも存在する。彼はアーノルド・バックスとは親しい友人であり、コーンウォールで休暇をともに過ごすなどしていた。バックスは歌曲「Aspiration」(1909年)と「交響曲第4番」(1931年)をコーダーに献呈している[2]。