ポール・フランドラン
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リヨンで、工芸画家の息子に生まれた。兄のオーギュスト・フランドラン(Auguste Flandrin: 1804-1842)とイポリット・フランドラン(1809-1864)も画家になった。
リヨンの風景画家、アントワーヌ・デュクロー(Antoine-Jean Duclaux: 1783-1868)や彫刻家のジャン=フランソワ・ルジャンドル=エラル(Jean-François Legendre-Héral)に学び、リヨン国立高等美術学校やパリ国立高等美術学校で学び、ドミニク・アングルの工房でも学んだ。
ローマ賞のコンクールに2度参加し、入賞することはできなかったが、1832年にローマ賞を受賞した兄のイポリット・フランドランのローマ留学に自費で同行した。ポール・フランドランはローマに4年間滞在し、古典的な風景画を学んだ。1838年からパリのサロンに出展し、兄のイポリット・フランドランの歴史画の背景の風景部分を描くこともあった。兄のオーギュスト・フランドランからは版画を学んだ。1844年にサン・セヴラン教会(Église Saint-Séverin de Paris)の壁画も描いた。
1852年に風景画家アレクサンドル・デゴッフ(Alexandre Desgoffe: 1805-1882) の娘と結婚した。夫妻の子孫には息子の建築家ジョゼフ・フランドリン(Joseph Flandrin:1857-1939)や画家の孫マルテ・フランドリン(Marthe Flandrin: 1904-1987)がいる[1]。