1983年、オーストラリアでプライベーターとしてスズキ・RGB500 で参戦したバサースト1000レースでトップ争いを演じ、最終ラップにコースアウトしてしまったがニュー・スターとして脚光を浴びる。
ルイスのヘロン・スズキ500 (1986年のWGP500参戦車)
イギリスに渡りロードレースイギリス選手権に参戦し、ドニントン・パーク を得意としイギリスレース界でも実力を買われた[ 2] 。1985年 夏にイギリスのスズキ系名門チーム「ヘロン・スズキ」と契約。1986年 の500ccクラス(現MotoGP)にスコールバンディットカラーのマシンで参戦した。このマシンはヘロンチームがチバガイギー 社と協力して制作した独自のカーボンファイバー・ハニカム素材のボックスフレームや、ホワイトパワー社の倒立フロントフォークなど斬新な技術投入がされていた。しかしエンジンは新規開発が止まったスクエア4エンジンであり、ヤマハやホンダのV型4気筒エンジンのストレートパワーには劣っており、スズキではV型4気筒はまだ完成していなかった。ルイスはこのマシンを特徴的な深いバンク角のコーナリングで操り転倒も何度か喫したが、最新型マシンのライバルに食い込み、10位以内に3度入る健闘を見せた。
その後はイギリスに暮らしながらアメリカのレースにも参戦し、デイトナ・ツインズ を制する。1990年でレーサーを引退したが、結局イギリス・メイデンヘッド 近郊に26年間暮らしていた。1996年にはレースに一時復帰した。
引退後は、オーストラリアでハーレーダビッドソン の販売店をいくつか経営するほか、 Salt Motorcycles社の代表を務める。同社はKTM の300ccダート用バイクをベースとしたカフェレーサーのカスタムなどを手掛けている。ハーレーダビッドソンUKとのパイプも持ち、2010年代以後もモーターショーやハーレーのプロモーションで時折イギリスを訪れている[ 3] 。