ポール=コンスタン・ソワイエ
From Wikipedia, the free encyclopedia
パリで書店主の息子に生まれた[2]。母親は版画家で、母方の祖父は、画家、美術史家でルーブル美術館の学芸員を務めたシャルル=ポール・ランドン(Charles-Paul Landon: 1760-1826)であった。パリ国立高等美術学校でレオン・コニエに学び、はじめ宗教画を描き、2点ほどの公共機関からの注文を受けたが、宗教画で評価されることは無かった。肖像画を描いた後、風俗画に転じ、パリ郊外のエクアン(Écouen)に住む人気のある風俗画家のピエール=エドゥアール・フレール(1819-1886)と親しくなり、ともに活動するようになった。エクアンには、各国から多くの画家が訪れるようになり、「エクアン派(École Écouen)」と呼ばれる画家のグループが形成された。ソワイエは1860年代の初めにフランスを訪れたアメリカ人画家、メアリー・カサット(1844-1926)も指導したとされる。
1847年からパリのサロンに出展し、1870年に入賞し、1882年に2等のメダルを受賞した。
1903年にエクアンで亡くなった。1906年にエクアンにソワイエを記念するモニュメントが作られた[3]。