マイク・ドイル

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本名 マイケル・ドイル
ラテン文字 Michael Doyle
生年月日 (1946-11-25) 1946年11月25日
マイク・ドイル
名前
本名 マイケル・ドイル
ラテン文字 Michael Doyle
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1946-11-25) 1946年11月25日
出身地 アシュトン=アンダー=ライン
没年月日 (2011-06-27) 2011年6月27日(64歳没)
選手情報
ポジション DF/MF
ユース
イングランドの旗 ストックポート・ボーイズ
1962-1964 イングランドの旗 マンチェスター・シティ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1965-1978 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 448 (32)
1978-1981 イングランドの旗 ストーク・シティ 115 (5)
1981-1983 イングランドの旗 ボルトン・ワンダラーズ 40 (2)
1983-1984 イングランドの旗 ロッチデール 24 (1)
代表歴
1968-1969  イングランド U-23 8 (0)
1976-1977  イングランド 5 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マイケル・ドイル英語: Michael Doyle1946年11月25日 - 2011年6月27日)は、イングランドの元サッカー選手。元イングランド代表。ポジションはDFまたはMF

グレーター・マンチェスターアシュトン=アンダー=ライン生まれ。ストックポート・ボーイズから1962年5月にマンチェスター・シティFCの下部組織に移籍[1]。この当時は専ら右サイドバックであったが、選手となって以降は様々なポジションをこなした[2]。1965年3月に行われたカーディフ・シティFC戦でウィングハーフとして出場し選手初出場[2]、その後もフォワードとして数試合出場した[1]。しかしキャリア全体で見れば、基本的にはセンターバックとしての出場が多かった。

1970年のリーグカップ決勝では得点を決めて優勝に貢献、1976年の同大会決勝ではキャプテンマークを巻いて優勝に貢献した[3]。マンチェスター・シティではリーグ戦448試合32得点、総計で570試合41得点を記録した他、クラブ公式誌では最も献身的なプレーヤーに選出された[4]


1978年6月に5万ポンドでアラン・ダーバン率いるストーク・シティFCに移籍[5]。1978-79シーズンは46試合に出場し21試合を無失点に抑え、クラブの1部昇格に貢献した[5]。翌シーズンの残留や1980-81シーズンの中位にもレギュラーとして貢献したが、ダーバン監督がサンダーランドAFCへと向かいリッチー・バーカーが監督に就任すると立場が急変、1982年1月にボルトン・ワンダラーズFCに移籍した[5]。その後、ロッチデールAFCに在籍し選手を引退した[5]

代表歴

イングランドU-23代表として8試合、イングランド代表として5試合の出場経験がある。

選手引退後

選手引退後もマンチェスター・シティの試合を観戦し続けた他方で、大酒呑みになった。2007年にはスポーティング・チャンス・クリニックに行き一時的な禁酒に成功した。2011年6月27日、テイムサイド総合病院での数週間の治療の末、肝不全で没した[6][7]。彼の所属したマンチェスター・シティ、ストーク・シティ、ボルトン・ワンダラーズの各クラブではその死に際して追悼が行われた[8][9][10]

家族

彼の息子は、彼がマンチェスター・シティで長年のチームメイトであったグリン・パードーの娘と結婚し、その二人の間に生まれたトミー・ドイルもマンチェスター・シティに在籍している。

タイトル

参考文献

外部リンク

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