マイティ・ベイビー
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フォークロック
プログレッシブ・ロック
アシッド・ロック
| マイティ・ベイビー Mighty Baby | |
|---|---|
| 出身地 |
|
| ジャンル |
サイケデリック・ロック フォークロック プログレッシブ・ロック アシッド・ロック |
| 活動期間 | 1969年 - 1971年 |
| レーベル | Head Records、Blue Horizon、Castle Music |
| 共同作業者 | アクション |
| 公式サイト | actionmightybaby.co.uk |
| 旧メンバー |
アラン・バム・キング マーティン・ストーン イアン・ホワイトマン マイク・エース・エヴァンス ロジャー・パウエル |
マイティ・ベイビー(Mighty Baby)は、アクション(The Action)というバンドから残ったメンバーによって、1969年1月に結成されたバンドであった[1]。2枚のアルバム、『マイティ・ベイビーの胎動』(1969年12月に発表されたが、ほぼ1年前にレコーディングされていた)と『ア・ジャグ・オブ・ラヴ』(1971年10月)をリリースしている。
サイケデリック・ロックの楽曲をコレクションしたデビュー作『マイティ・ベイビーの胎動』は、イギリスの小さなインディーズのレコード・レーベル「ヘッド・レコード」と、アメリカの「チェス・レコード」から発売された。1970年の間に、バンドの何人かのメンバーはイスラム教徒(スーフィズムの支持者)になり、セカンド・アルバム『ア・ジャグ・オブ・ラヴ』にはそのスピリチュアルな世界への旅が反映され、以前の彼らが持っていた音楽性とは、かなりかけ離れたものとなった。彼らは「ワイト島音楽祭 1970」初日のトリを務めた。この時のリチャード・トンプソンとバンドとの出会いが、リチャードとリンダ・トンプソンをスーフィズムに導いたと言われている[2]。また、この時のマーティン・ストーンのギター・パートは注目に値するものだった。
定期的にギグを行うだけでなく、バンドは他のミュージシャンのために多くのセッションを行った。その面々には、ロビン・スコット(アルバム『ウーマン・フロム・ザ・ウォーム・グラス』)、アンディ・ロバーツ、キース・クリスマス(アルバム『スティミュラス』『フェイブル・オブ・ザ・ウィングス』)、シェラ・マクドナルド、サンディ・デニー、ゲイリー・ファー(アルバム『Take Something with You』『ストレンジ・フルーツ』)を含んでいた。
1971年にMalvern Winter Gardensでレコーディングされたライブ・コンサートが、2010年初めにSunbeamレーベルからリリースされた。これらの音源は、コンサート後にイアン・ホワイトマンに与えられ、彼によって保管されたテープからのものだった。また、「グラストンベリー・フェスティバル 1971」からのこれまで未発表だった音源もこのライブ・アルバムに収録された。それはラジオ・ジェロニモ (Radio Geronimo)のアーカイヴから探し出されたものだった。
マイク・エース・エヴァンスは、ロンドンで2010年1月15日に亡くなり、ビーコンズフィールド近くのウッドランド霊園に埋葬された。
メンバー
- アラン・バム・キング (Alan 'Bam' King) - ボーカル、ギター
- マーティン・ストーン (Martin Stone) - ギター
- イアン・ホワイトマン (Ian Whiteman) - ピアノ、フルート
- マイク・エース・エヴァンス (Mike 'Ace' Evans) - ベース
- ロジャー・パウエル (Roger Powell) - ドラム