マイ・ラヴ (ペトゥラ・クラークの曲)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 「マイ・ラヴ」 | ||||
|---|---|---|---|---|
| ペトゥラ・クラーク の シングル | ||||
| 初出アルバム『A Sign of the Times / My Love』 | ||||
| B面 | 愛の行くえ(Where am I going?) | |||
| リリース | ||||
| 規格 | 7インチ・シングル | |||
| 録音 | 1965年 | |||
| ジャンル | ポップス | |||
| 時間 | ||||
| レーベル |
| |||
| 作詞・作曲 | トニー・ハッチ | |||
| プロデュース | トニー・ハッチ | |||
| チャート最高順位 | ||||
| ||||
| ペトゥラ・クラーク シングル 年表 | ||||
| ||||
「マイ・ラヴ」(英語: My love)は、ペトゥラ・クラークが1965年に発表した楽曲。翌1966年に全米チャート1位を獲得した。「恋のダウンタウン」の作者トニー・ハッチの作品。イギリスでも最高位4位を記録した[1]。
1965年すでに「恋のダウンタウン」が全米第1位を記録していたペトゥラ・クラークの2曲目のナンバー・ワン・ソング(2週連続[2])で、2曲のビルボードチャート1位獲得はイギリス出身の女性歌手としては最初である[3]。
また、クラークが初めてアメリカで録音した作品でもあった。後日談ではクラーク自身はこの作品をハル・ブレインらが参加したスタジオ・ミュージシャン集団レッキング・クルーをバックに録音したものの気に入らず、同時に録音された他の2曲のどちらかのシングル化を希望していた。
1964年-1969年の間に19曲をアメリカでチャート・インさせたこの時期のクラークの活躍は素晴らしくビートルズをはじめとするブリティッシュ・インヴェイジョンの効果ともいえる[4]。作者のトニー・ハッチも徐々にソング・ライターとしての名声をアメリカでも高めていた。ペトゥラ自身が歌うフランス語版「Mon amour」(モナムール)・イタリア語版「L'amore è il vento」(愛は風)・ドイツ語版「Verzeih' die dummen Tränen」(愚かな涙を許してください)も各地でヒットした。1970年にはカントリーのソニー・ジェームス盤がカントリー・チャートで第1位を記録している[5]。
カバー
- ジョン・デビッドソン(1966)
- ソニー・ジェームス(1970)