マウザー BK-27
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| マウザー BK-27 | |
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マウザー BK-27 | |
| 種類 | 機関砲 |
| 原開発国 |
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| 運用史 | |
| 配備先 | 運用国一覧を参照 |
| 開発史 | |
| 開発者 | マウザー |
| 開発期間 | 1976年 |
| 製造業者 | マウザー→ラインメタル[注 1] |
| 製造期間 | 1977年-現在 |
| 製造数 | 3,100- |
| 諸元 | |
| 重量 | 100 kg (220 lb 7 oz)[1] |
| 全長 | 2.31 m (7 ft 7 in)[1] |
| 銃身長 | 1.73 m (5 ft 8 in)[1] |
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| 砲弾 | 27×145mmB[1] |
| 口径 | 27 mm (1.063 in)口径 |
| 銃砲身 | 単砲身 |
| 作動方式 |
自動機構: ガス圧作動方式[2] 閉鎖機構: リヴォルヴァー式[2] |
| 発射速度 | 1,700 rpm[1] |
| 初速 | 1,025 m/s (3,360 ft/s) |
| 有効射程 | 2.7 km (MLG 27) |
マウザー BK-27(Mauser BK-27)は、西ドイツのマウザー社が開発した27mm口径のリヴォルヴァーカノン[注 1]。BKはドイツ語の「ボルトカノーネ」(Bordkanone)に由来し、元来は37mm口径以上の航空機搭載砲に付与する名称であった[3]。
BK-27は、元来、MRCA(Multi-Role Combat Aircraft: 後のトーネード)に搭載するための航空機関砲として開発された[2]。強大なソ連地上軍の機甲部隊の脅威に直面していたことから[4]、MRCAの搭載砲には大発射速度と高初速、大破壊力の両立が求められたが、既存の航空機関砲のうち、30mm口径のDEFA 550およびADENは初速が低く、20mm口径のM61 バルカンは破壊力不足であると判断され、1971年より、専用砲の開発が着手された[2]。
装着試験(TI)はライトニング戦闘機のベントラル・パックに取り付けられて行われ、後にはイギリスでの3番目の試作機であるトーネードP06(XX948)に搭載されて、試験に供された[5]。トーネードP06での機関砲発射試験は1976年3月に終了し[6]、1979年より運用を開始した[2]。
設計
実装
機上型
本砲は、上記のトーネードおよびタイフーン、グリペンのほか、アルファジェットにも搭載されている[2]。
アメリカ合衆国を中心とする統合打撃戦闘機計画(JSF)への採用も検討されたものの、JSF計画の勝者となったロッキード・マーティン社はGAU-12 イコライザーの派生型を選定したため、本砲の採用は実現しなかった[2]。もし本砲が選定されていた場合、アライアント・テックシステムズによってライセンス生産される予定であった[9]。
艦載型

本砲の艦載版として、まずはCIWSの開発が試みられた[2]。マウザー社は、1984年よりCIWSのニーズ増大を認識して要件調査に着手しており、1988年より、本砲を4連装に配した艦載マウントの開発に着手した[10]。最初の試作機は「ヴィアリング」(Vierling)として1989年に完成、続く試作機は高速戦闘艇向けの近接防空兵器として連邦国防省からの資金援助を獲得し、AMS 27-4と称されるようになった[10]。1992年春には、同年10月の防衛展示会への出展に向けて、オランダのシグナール(現タレス・ネーデルランド)社との共同開発についての契約が締結され、これとあわせてMIDASと改称されたた[10]。ただしシグナール社は1994年に開発から手を引き、再びマウザー社単独での開発となった[10]。1995年には射撃指揮装置との統合を図ってマウントの再設計が行われ、システム名は「ドラコン」(Drakon)となった[10]。ただしドイツ海軍が近接防空用として銃砲ではなくRAMを選んだこともあって[10]、このシステムは、結局、装備化には至らなかった[2]。
CIWSの開発が断念された一方で、より簡素なRWSの装備化は実現した[2]。マウザー社は、フランスのネーバル・ガード社が試作していたRWSであるクーヴルヴァン(Culverine)に着目し、1995年春より、これに本砲を架したシステムの開発に着手した[11]。これは当初はMN 27 GSと称されていたが、後にMLG 27(Marine Leicht Geschütz 27mm)と改称された[11]。試作機は1996年10月のユーロナバル展示会で公開され、1998年にはドイツ海軍からの発注を受けた[11]。