マクタブ・アル=ヒダマト
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ソビエト軍によるアフガニスタン侵攻に対抗する義勇兵としてMAKはおよそ100のムジャーヒディーン集団を創設した。この基金としてアラブ諸国だけでなく西欧、北米から200万ドルの資金を調達した。MAKはアメリカの中央情報局(CIA)を通じてパキスタン軍統合情報局(ISI)とサウジアラビア総合情報庁(GIP)から直接の支援を受けた。ムジャーヒディーンのアフガニスタン行きの旅費など全てMAKが支給した[1]。
アフガニスタンからソ連軍が撤退する頃になるとMAK内部でアブドゥッラー・アッザームとアイマン・ザワーヒリーとの間で路線対立が表面化する。ザワーヒリーらエジプト・イスラム・ジハード団(EIJ)から合流していたムジャーヒディーンらはMAKを世界各地にイスラム国家を樹立するためのジハードの集団としたかった。一方、アッザームはMAKの資金と組織はまずアフガニスタンでのイスラム国家建国に向けられるべきだと主張した。1989年11月、MAK創設者のアッザームは何者かによってペシャーワルで爆殺されMAKのトップにはナンバー2だったウサーマ・ビン=ラーディンが就任した。ビン=ラーディンはアッザームの方針に理解を示していたが、これ以降、MAKの路線はEIJの考えに沿って進み、MAKはアルカーイダに改組された。