マグヌス・ヘドマン

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本名 Carl Magnus Hedman
ラテン文字 Magnus Hedman
生年月日 (1973-03-19) 1973年3月19日(52歳)
マグヌス・ヒードマン
ヒードマン(2012年)
名前
本名 Carl Magnus Hedman
ラテン文字 Magnus Hedman
基本情報
国籍  スウェーデン
生年月日 (1973-03-19) 1973年3月19日(52歳)
出身地 ボートシルカ市
身長 194 cm
体重 92 kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1978-1982 スウェーデンの旗 Vårby Gård IF
1983-1986 スウェーデンの旗 ストックホルムスウェーデン語版
1987-1989 スウェーデンの旗 AIK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1997 スウェーデンの旗 AIK 127 (0)
1997-2002 イングランドの旗 コヴェントリー・シティ 135 (0)
2002-2005 スコットランドの旗 セルティック 26 (0)
2004 イタリアの旗 アンコーナ (loan) 3 (0)
2006-2007 イングランドの旗 チェルシー 0 (0)
2013 スウェーデンの旗 フレイスウェーデン語版 1 (0)
代表歴2
1988-1989  スウェーデン U-17 10 (0)
1990-1991  スウェーデン U-19 5 (0)
1992-1995  スウェーデン U-21 29 (0)
1997-2004  スウェーデン 57 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2025年11月26日現在。
2. 2025年11月26日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マグヌス・ヘドマン(Magnus Hedman, スウェーデン語発音: [ˈmǎŋːnɵs ˈhěːdman], 1973年3月19日 - )は、スウェーデンボートシルカ市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。元スウェーデン代表。ポジションはゴールキーパー

クラブ

地元のクラブでサッカーを始めた後、ストックホルムスウェーデン語版を経て、1987年にAIKの下部組織に入団[1]

1990年、17歳でトップチームに昇格し、アルスヴェンスカンデビュー。1992シーズンにはアルスヴェンスカンを制した[1]

1997年7月にイングランドコヴェントリー・シティに移籍[1]。当初はスティーヴ・オグリゾヴィッチ英語版の控えであったが、12月13日、リーグ第18節のトッテナム・ホットスパー戦でプレミアリーグ初出場。デビュー戦でクリーンシートを達成した。以降は先発出場を続け、1988年2月に負傷によりオグリゾヴィッチにポジションを奪還されたが、シーズン最終盤には再びヒードマンがゴールマウスを守った[2]1998-99シーズンは正GKの座を掴み、リーグ戦36試合に出場した[3]。オグリゾヴィッチの現役最終シーズンとなった1999-00シーズンもコヴェントリーの正GKを務めたが、2000-01シーズンには若手のクリス・カークランドの台頭で出場機会を減らし、クラブもディヴィジョン1英語版に降格。2001-02シーズン開幕直後にカークランドがリヴァプールに移籍したことで守護神に返り咲いたが、プレストン・ノースエンドとの試合中に乱入したサポーターに詰め寄られるなど[4][5]、クラブとの不和からこのシーズン限りでコヴェントリーを去ることとなった[6]

2002年夏、スコットランドセルティックに4年契約で移籍[7][8][9]。セルティックに3シーズン在籍したが、故障がちであったこともあり[10]、監督のマーティン・オニールラブ・ダグラス英語版デイヴィッド・マーシャルを重用し、正GKの座を掴むことはできず、リーグ戦36試合の出場にとどまった。2004年1月には、イタリアアンコーナにシーズン終了までのローン移籍[11]。しかしアンコーナでもベンチに控えることが多く、セリエA3試合に出場したのみであった[12]。後にヒードマンは、短期間しか在籍しなかったアンコーナのチームメイト数名の収賄疑惑について言及している[13]。セルティックにローンバックした後、UEFAチャンピオンズリーグバルセロナ戦やミラン戦でゴールマウスを守ったが[14][15]、2005年6月末で双方の合意に基づき契約を解消し[16]、翌月に現役を退いた。

2006年11月9日、GKに負傷離脱者が相次いでいたチェルシーが、プレミアリーグで実績のあるヒードマンに白羽の矢を立て、トライアルに参加することとなった[17]。11月14日に契約が成立し、正式にチェルシーに加入。飽くまでバックアッパーとしての復帰であり、プレミアリーグとEFLカップのそれぞれ1試合でベンチ入りしたが[18]、出場機会はなくシーズンを終え、再びユニフォームを脱いだ。

その後は母国スウェーデンに戻り、離婚うつ病などを経験。2013シーズンにはエッタンスウェーデン語版(3部リーグ)のフレイスウェーデン語版でGKコーチを務めていたが、ここでもGKが不足する事態に陥り、7月21日に選手として復帰し、3-1での勝利に貢献した[19]

代表

1989年からスウェーデンの世代別代表に選出され、1991年にポルトガルで開催されたFIFAワールドユース選手権に出場。グループステージの2試合でゴールマウスを守った[20]

1993年にA代表に初招集され、1994年のFIFAワールドカップにも、当時の国際Aマッチ最多出場記録保持者であったトーマス・ラヴェリのバックアッパーとして選出された[1]

1997年2月13日、日本との親善試合で代表初キャップ[21]

2000年のEURO 2000では、予選から正GKとして出場を続け、8試合でわずか1失点の活躍をみせた。本大会でも全3試合に出場し、この年のグルドボレンを受賞した。

2000年から2001にかけて、FIFAワールドカップ予選では全10試合でゴールマウスを守り、7試合でクリーンシートを達成[22]。予選首位通過に大きく貢献し、本大会でもスウェーデンの全4試合でゴールマウスを守った[23]。その後は自身の負傷やアンドレーアス・イーサクソンの台頭で控えに回ることが多くなった。

2004年11月17日、4-1で勝利したスコットランドとの親善試合が、自身にとって最後の代表戦となった[24]

人物

1999年にスウェーデンのモデル歌手作家であるマグダレーナ・ギュラーフスウェーデン語版と結婚し、二男をもうけたが[25]、2006年に離婚している[19]

個人成績

クラブ

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
1997-98コヴェントリー・シティ13プレミアリーグ1400030170
1998-9913601020390
1999-003500030380
2000-011500010160
2001-02ディヴィジョン13501010370
スコットランド リーグ戦 S・リーグ杯スコティッシュ杯 期間通算
2002-03セルティック21プレミアシップ801010100
2003-041200000120
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2003-04アンコーナ1セリエA30--30
スコットランド リーグ戦 S・リーグ杯スコティッシュ杯 期間通算
2004-05セルティック21プレミアシップ60000060
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
2006-07チェルシー22プレミアリーグ00000000
スウェーデン リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2013フレイエッタン10--10
通算イングランドプレミアリーグ 100010902100
イングランドディヴィジョン1 3501010370
スコットランドプレミアシップ 2601010280
イタリアセリエA 3000-30
スウェーデンエッタン 10--10
総通算 1650301102790

代表

スウェーデン代表国際Aマッチ
出場得点
199740
199860
199990
2000100
2001110
2002100
200330
200440
通算570

タイトル

脚注

外部リンク

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