マゴ3世
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ディオニュシオスとの戦い
紀元前375年頃(紀元前378年との説もある)、マゴ3世の父親のマゴ2世はカバラの戦いでシュラクサイの僭主ディオニュシオス1世に大敗し、戦死10,000捕虜5,000の損害を受け、マゴ2世も戦死した[1]。彼の死後、カルタゴは講和を求めたものの、ディオニュシオスは全シケリアからの撤退を求めさらに賠償金を要求した。カルタゴはこの傲慢な回答に対し、ディオニュシオスを罠にかけることとした。この条件を受諾すると見せかけ、支配下の都市の引渡し方法に関して議論を行うためとして、ディオニュシオスに対して数日間の停戦を求めた。ディオニュシオスがこれに同意すると、カルタゴはマゴ2世の葬儀を行い、マゴ3世を司令官に選んだ。この休戦期間はカルタゴ軍が準備を整えるのに十分であり、休戦が開けた後にカルタゴ本国からの援軍も得て、クロニウム山の戦いに大勝した。シュラクサイ軍の一翼を指揮していたレプティネスも戦死した[2]。ギリシア軍の戦死は14,000以上であり、カルタゴ軍はパノルムスに凱旋した[3]。ディオニュシオスは1,000タレントの賠償金を支払い、アリコ川(現在のプランターニ川)までがカルタゴの領土とされた[3]。また、セリヌス、ヘラクレア・ミノア、アクラガス、ヒメラ、テルマエはカルタゴが支配することとなった[4]。
紀元前368年、ディオニュシオスは歩兵30,000と騎兵3,000の兵力で、再びシケリアのカルタゴ領を攻撃した。カルタゴでは疫病が広がり、リビュア人の反乱もあり、国力が低下していた。ディオニュシオスはセリヌスとエンテラに勝利して郊外を略奪し、エリュクスを占領してリルバイオンを包囲した(リルバイオン包囲戦)。その後三段櫂船130隻をエリュクスの港に残して、シュラクサイに撤退した。しかし、カルタゴは200隻の船でエリュクスのシュラクサイ艦隊を奇襲し、多くを焼却・拿捕した。その後、冬が到来すると、両国は休戦に同意して撤退した[5]。ディオドロスはカルタゴ艦隊の指揮官の名前をあげていないが、大ハンノとする見方もある[6]。