マスラヲコミッショナー

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出身地 日本の旗 日本 東京都
活動期間 1998年 - 2007年
レーベル TOY'S FACTORY
マスラヲコミッショナー
出身地 日本の旗 日本 東京都
ジャンル パンク・ロック
活動期間 1998年 - 2007年
レーベル TOY'S FACTORY
メンバー 遠藤真志 (ボーカルギター
宇野元英 (ベース、)
近藤隆 (ドラムス

マスラヲコミッショナーは、日本ロックバンドパンク・ロックに属する。2007年12月31日に解散した。

  • 遠藤真志(ボーカル、ギター)※現在はusual O.K.というバンドで活動中[1]
  • 宇野元英(ベース)※現在はTHE STAND UPの太田タケヒロとともにNANISAMA?というバンドで活動中[2]、2019年 - FMクマガヤ局長。[3][4]
  • 近藤隆(ドラム)

来歴

1998年夏、バンド結成、初ライブを行う。 その後一年間ほど、ゆっくりとマイペースなライブを続ける。

1999年秋頃から自主制作によるカセット・テープ200本の販売と共に、新宿・高円寺を中心として精力的にライブを開始する。 そして、この何気なく制作したカセット・テープがマスラヲコミッショナーのその後の活動を大きく変えていく事になる。

その後自主制作のテープはクチコミでの広がりで、翌2000年夏までに一万本を完売。 そして人づてにテープはプロ・スノーボーダーの手に渡り、スノーボード・ビデオへ楽曲を提供を機に注目度は増々加速していく。

2001年4月、満を持してファースト・マキシシングルをリリース。ノンプロモーションながら、店頭とライブで順調に数字が伸びていった。

2001年9月にはセカンド・マキシシングルをリリースし、初の全国50か所ツアーを敢行。

前年に引き続きスノーボード・ビデオに、再び楽曲を提供。

2002年10月16日、満を持して初のアルバム「黒盤」(くろばん)をリリース。 黒盤ツアーでは全国約80か所でライブ。オリコンインディーチャートでは最高4位ではあったものの、 約半年間チャートに名を連ねた。

アンケートをはじめとし、ライブでも熱狂的支持を受けアルバム収録曲「リーチ」を未発表の2曲を加えて同年3月26日にシングルカットをする。

2003年12月22日 5枚目シングル「ランナー/唄っておくれ」発売。これはアルバム発売に先駆けてTシャツ付5000枚限定で発売という事もあり即完売となった。

2004年1月10日 日本初上陸、世界最大のパンクフェスティバル「WARPED TOUR'04 WINTER」に参加。 2004年1月21日、満を持してセカンドアルバム「BEE ROCK!!」発売。

2004年4月21日 6枚目シングル「暁の頃」発売。AX MUSIC TV00 voice&music#003 タイアップ決定に伴い、セカンドアルバム「BEE ROCK!!」よりシングルカット。

2004年6月9日 マスラヲコミッショナーDVD発売。ファーストシングル発売より彼等が駆け抜けた3年間の軌跡を完全パッケージ。 代表曲「追風」PVをはじめ、迫力のライブ映像、秘蔵映像など見応えのあるマスラヲ初の映像作品。

同日、渋谷O-WESTにてBEE ROCK!!ツアーファイナルを東京初ワンマンSOLD OUTで飾る。

2004年7月31日 満を持して韓国初上陸。韓国のパンクバンドGUM'Xの招待を受け「GUM'X GREEN FREAKZILLA レコ発」に参加。同時に「KOREA-JAPAN MUSIC FESTIVAL」にてライブを行う。

2004年11月10日、渋谷O-WESTにて再びワンマンライブ。

2004年12月15日、満を持して7枚目シングル「絆飛ぶ」発売。

2005年1月9日、渋谷CLUB QUATTROにてワンマンライブ。

2005年2月23日、満を持してサードアルバム「輩×輩×輩」発売。

2007年12月、公式サイトで解散を発表

リーダーの近藤隆は「メンバーとはこの何ヶ月かをかけてたくさん話しをしてきました。これからの音楽性のこと、メンバー個々の抱えている問題、これからのみんなの生活のこと…抱えていた不安がここにきて一気に出てしまったかのように、たくさんの面から見て、続けていくのか辞めるのかを何ヶ月も考えてきました。そしてこの話に何ヶ月もの時間を費やしていくうちに、マスラヲをやり続けていくというテンションまでもメンバー全員が削ぎ取られ、このような結果に至りました」と解散の理由を述べている。

作品

ミュージックビデオ

脚注

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