マックス・シュルツェ
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フライブルクに生まれた。学者の家系で、父親のアウグスト・シュルツェは医学者で、フライブルク大学の解剖学と生理学の教授などを務め、兄のベルンハルト・シュルツェはイェーナ大学の教授を務めた婦人科医で、弟のジグムント・シュルツェは法律家で ストラスブール大学の教授を務めた。
1845年からグライフスヴァルト大学で学び始め、1845年から1846年のウィンター・セミナーではベルリン大学のヨハネス・ペーター・ミュラーのもとで学んだ。1849年に博士号を得て、1850年にグライフスヴァルト大学の講師、助手となった。1854年にハレ大学の教授、1859年にボン大学の教授となった。1872年にボンの解剖学研究所の所長となった。1865年に学術誌、"Zeitschrift Archiv für mikroskopische Anatomie"を創刊し、没するまで編集を続けた。
生物の「細胞説」の先駆者の一人で細胞を核を持つ原形質の塊であると考え、原形質の研究の端緒となった。解剖学の分野では網膜の錐体細胞と杆体細胞を区別し、血小板の先駆的研究をしたことで知られる。
