マティアス・ホッホ

From Wikipedia, the free encyclopedia

マティアス・ホッホ: Matthias Hoch1958年 - )は、ドイツ写真家視覚芸術家。

1983年1988年までライプツィヒ版画・製本芸術大学ドイツ語版で研究。ドイツ学術交流会(DAAD)でエッセンのフォルクヴァング芸術大学ドイツ語版1990年に留学、ライプツィヒ版画・製本芸術大学ドイツ語版1991年1992年まで院生として研究、その後1993年1998年まで同大学のアシスタントして教える。2003年にドイツ・アカデミーヴィラ・マッシモドイツ語版で研究助成金を貰う[1]。現在、ライプツィヒに居住。

作品と受容

マティアス・ホッホが有名になったきっかけは、1988年東ベルリンドレスデンライプツィヒハレ他、東ドイツの街で撮影したカラー写真の作品集『駅(Bahnhöfe)』である。このシリーズが展示されたのは、1992年1999年国際情勢研究所ドイツ語版の全17州のツアー展覧会「状況報告。東西ドイツ50年代~80年代の写真(Zustandsberichte. Deutsche Fotografie der 50er bis 80er Jahre in Ost und West)」である。ホッホの作品は、ベルリン・ギャラリードイツ語版ライプツィヒ造形美術館ドレスデン美術館[2]ミュンヘン近代絵画館などである。キュレーターおよび評論家であるハラルド・クンデ(Harald Kunde)は、「およそ人間性のない地域性、その形式、その配色、役所の指示で作られたデザイン、使い古された痕跡は、必然的に没落した国家の歴史を物語っている」と述べている[3]

1990年代にマティアス・ホッホは、国会議事堂アーヘン大学病院ドイツ語版、東ドイツに新しく建設された流通センターなどの写真シリーズを制作。それに続き、パリ[4]ブリュッセル[5]、オランダなどの近代機能主義的建築の作品集を出版。

芸術雑誌『artドイツ語版』は、ホッホの写真を「現代の都会性に対する控え目で不安に満ちた批評」として紹介している[6]フランクフルター・アルゲマイネは、「ポスト工業社会に適した写真」とコメントしている[7]

2003年にローマに滞在しているとき、大きいサイズの写真だけでなく「フォト・スケッチ(fotografische Skizzen)」も制作。これは作家インゴ・シュルツェドイツ語版の「オレンジとエンジェル(Orangen und Engel)」に掲載された[8]。日刊紙メルキッシェ・アルゲマイネドイツ語版は、これら48枚の写真が「驚くほどさりげない状態で、直接的に平凡なものと高尚なものとの併存」を表していると述べている[9]。「写真とテクストが、繊細な対話を織りなしている」(ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング[10]フランクフルトにある荒涼としたシルバータワードイツ語版の作品制作のため、ホッホはザクセン芸術財団ドイツ語版からの助成金を受けている[11][12]

主な個展

主なグループ展

主な出版物

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI