マヨール広場 (マドリード)
From Wikipedia, the free encyclopedia
クチリェロスのアーチ

広場の歴史は15世紀にさかのぼる。中世のマドリードの外側には、トレドやアトーチャへと向かういくつもの道路が交差しており、この土地はアラバル広場(Plaza del Arrabal)と呼ばれていた。広場では市場が開かれ、商業の中心となっていた。
1561年にマドリードへ宮廷を移していたフェリペ2世は、高名なルネサンス期の建築家ファン・デ・エレーラに、ごみごみとして混沌としていたアラバル広場の刷新を1580年に命じた。エレラが最初の計画を作成したが、建設が始まったのはフェリペ3世時代の1617年だった。新たな広場に完成した最初の建物は、1590年にディエゴ・シレーロが工事を始めた北側のカサ・デ・パナデリアで、かつて魚市場があった場所に建てられた。王はファン・ゴメス・デ・モラに計画の続行を命じ、ポルチコが1619年に完成した。しかしながら、現在我々が目にすることのできるマヨール広場は、大規模火災後の1790年に再建を託されたフアン・デ・ビリャヌエバの設計によるものである。彼はエレーラの設計による、広場を取り巻く5階建ての建築物群を4階建てに刷新し、広場角の通行を容易にするため9箇所のアーチを設けた。ビリャヌエバ死後も弟子のアントニオ・ロペス・アグアドとクストディオ・モレーノによって工事が続けられ、1854年に完成した。ジャンボローニャ作のフェリペ3世騎馬像は1616年にさかのぼる作品だが、広場の中心にすえられたのは1848年である。

マヨール広場にある9箇所のアーチのうち最も有名で、広場南西にある。大火後の1790年、ビリャヌエバによって設計された。このアーチ内の階段は、広場とカバ・デ・サン・ミゲル通りとをつないでいる。
名前は、このアーチの場所にかつてクチリェロス通りがあったことに由来する。通りにはナイフ職人組合の工房が並び、同じ広場の中にある肉屋組合に商品を納めていたのである。現在はバルやレストランが立ち並ぶ観光地で、ギネスブックに世界最古のレストランとして記録されているソブリーノ・デ・ボティン(Sobrino de Botin、1725年創業)もここにある。
フェリペ3世騎馬像

イタリアの彫刻家ジャンボローニャが着手し、彼の死後の1616年に弟子のピエトロ・タッカが完成させた。当時のトスカーナ大公コジモ2世からスペイン王へ献上され、長くカサ・デ・カンポに置かれていた。1848年、女王イサベル2世がマドリード市に命じ、広場へ設置させた。
