マリオン・ソープ
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独: Maria Donata Nanetta Paulina Gustava Erwina Wilhelmine Stein
1926年10月18日
マリオン・ソープ (Marion Thorpe)
マリオン・シュタイン Marion Stein | |
|---|---|
| 生誕 |
マリア・ドナータ・ナネッタ・パウリーナ・グスタファ・エルヴィーナ・ヴィルヘルミーネ・シュタイン 独: Maria Donata Nanetta Paulina Gustava Erwina Wilhelmine Stein 1926年10月18日 |
| 死没 |
2014年3月6日(87歳没) |
| 別名 |
マリオン・ハーウッド (Marion Harewood) マリオン・ソープ (Marion Thorpe) |
| 職業 | コンサート・ピアニスト |
| 配偶者 |
|
| 子供 | |
| 親 |
エルヴィン・シュタイン ゾフィー・バッハマン[注釈 1] |
マリオン・ソープ(英: Marion Thorpe)の名前で知られるマリア・シュタイン(英: Maria Stein, CBE, HonRCM、1926年10月18日 – 2014年3月6日)は、オーストリア生まれでイギリスに帰化したコンサート・ピアニスト[2][3]。出生名はマリア・ドナータ・ナネッタ・パウリーナ・グスタファ・エルヴィーナ・ヴィルヘルミーネ・シュタイン (Maria Donata Nanetta Paulina Gustava Erwina Wilhelmine Stein)[2]。結婚前は「マリオン・シュタイン」(Marion Stein) と名乗っており、ジョージ・ラッセルズとの結婚後は「マリオン・ラッセルズ、ハーウッド伯爵夫人」(Marion Lascelles, Countess of Harewood) と呼ばれるようになり、ジェレミー・ソープとの再婚後は「マリオン・ソープ」と呼ばれるようになった[2]。
シュタインは、母ゾフィー・バッハマン、音楽家の父エルヴィーン・シュタインの娘としてオーストリア・ウィーンで生まれ、ユダヤ人一家で育った[2][3]。彼女は第二次世界大戦直前の1938年に、ナチスの手を逃れる形で両親と渡英した[3][4][5]。彼女は王立音楽大学に通い、作曲家のベンジャミン・ブリテンと親交を深めた[1][5][6][7]。
ジョージ・ラッセルズとの結婚でハーウッド伯爵夫人となった彼女は、1949年までに、義母であるメアリー王女(プリンセス・ロイヤル)からの後援も得て、リーズ北部にあるパッラーディオ建築の巨大な屋敷、ハーウッド・ハウス(ヘアウッド・ハウス)の女主人となり、ここでのイベント立案に邁進した[8]。1950年3月には、友人だったブリテンのイングリッシュ・オペラ・グループの力添えも得て、オペラに着想を得た仮装舞踏会を開催し、バレエ『ファサード』からフレデリック・アシュトンとモイラ・シアラーによるタンゴを上演した[8]。1950年9月には、妊娠と共に、ブリテンが演奏するリーズ三年音楽祭 (Leeds Triennial Musical Festival) に彼女が「毎夜参加する計画」(英: "planning to attend every night")だと報じられた[9][10]。1961年にはファニー・ウォーターマンと共にリーズ国際ピアノ・コンクールを立ち上げた[11]。またウォーターマンとは、大成功したピアノ指導書『ピアノ・レッスンズ』(英: Piano Lessons)でも共作している[12]。
1973年には、BBC Radio 4の『デザート・アイランド・ディスクス』にゲスト出演したほか[13]、BBCの音楽クイズ番組『フェイス・ザ・ミュージック』のパネリストもしばしば務めた。