マルガレーテ・フォン・ポンメルン
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マルガレーテはグリフ家のポメラニア公ボグスワフ5世とその2番目の妃アーデルハイト・フォン・ブラウンシュヴァイク=オスターオーデ(ブラウンシュヴァイク=グルベンハーゲン公エルンスト1世の娘)の娘である。マルガレーテの異母姉エリーザベトは神聖ローマ皇帝カール4世の4番目の妃で、後の皇帝ジギスムントの母となった。
同時代のレオポルト・フォン・ヴィーンはマルガレーテの美しさを称賛している。マルガレーテは青い目で赤みがかかったブロンドの髪であったという[2]。性格については信頼できる資料がない。
マルガレーテとエルンストとの間の最終的な結婚契約書への署名は1392年12月19日にプレスブルクにおいて、ハンガリー王ジギスムントとオーストリア公アルブレヒト3世およびヴィルヘルムの間で行われた。この結婚は、ジギスムントの異母兄で当時ローマ王でもあったヴェンツェルに対する同盟の一環として決められた[2]。結婚式はすでに1392年1月14日にブルック・アン・デア・ムーアで行われていたという。結婚後、マルガレーテはほとんどの期間をブライブルクで過ごし、この町の支配は夫エルンストとともにマルガレーテにゆだねられていた。1406年までマルガレーテは何回かウィーンを訪れている[3]。
マルガレーテの没年については、文献により異なっている。『Necrologium Runense』によると、マルガレーテは1407年4月30日に死去したとされ、いくつかの文献で確認されている。一方、マルガレーテの義兄レオポルト4世は、1407年3月9日にマルガレーテとエルンストの結婚財産について触れており、この時にはまだマルガレーテが生存していたことがわかる。1407年7月に発行された文書には、エルンストはすでに再婚の手配をしている[1]。
この結婚で子供がいなかったのか、それとも早世したのかは不明である[4]。