Wikiwand AI

マルクス・ヘレンニウス

From Wikipedia, the free encyclopedia

出生 紀元前136年頃
死没 不明
出身階級 プレブス

マルクス・ヘレンニウス
M. Herennius M. f.
出生 紀元前136年頃
死没 不明
出身階級 プレブス
氏族 ヘレンニウス氏族
官職 法務官(紀元前96年以前)
執政官(紀元前93年)
テンプレートを表示

マルクス・ヘレンニウス(ラテン語: Marcus Herennius、生没年不明)は紀元前2世紀後期・紀元前1世紀初期の共和政ローマの政治家。紀元前93年に執政官(コンスル)を務めた。

ヘレンニウス氏族はイタリア中部・南部に居住していたオスク系イタリック人と推定される。マルクス・ヘレンニウスはノウス・ホモ(先祖に高位官職者をもたない新人)であっただけでなく、「新ローマ市民」であったと思われる[1]。

カピトリヌスのファスティによれば、ヘレンニウスの父のプラエノーメン(第一名、個人名)はマルクスであるが、祖父は不明である[2]。父マルクスはガイウス・センプロニウス・グラックスの友人とされるハルスペックス(生贄の動物の内臓から前兆を読み取る占官)であるヘレンニウス・シクルスと同一人物との説もある[3]。

経歴

ヘレンニウスの経歴に関しては、ほとんど知られていないが、生誕年は紀元前136年頃と推定されている[4]。政治歴の初期に造幣官を務めたことが分かっているが、その時期に関しては紀元前109年説[4] と紀元前109年説[3] がある。プラエトル(法務官)就任年は不明だが、執政官就任年とウィッリウス法の規定から、遅くとも紀元前96年と推定される[5]。

紀元前94年末に、ヘレンニウスは執政官選挙に立候補する。対立候補はルキウス・マルキウス・ピリップスであった。ピリップスは非常に著名で影響力のある人物で、幅広い人脈を持ち、優れた弁論家としての評判を得ていた。驚いたことに、ヘレンニウスはより多くの票を獲得し、執政官に当選した。キケロによれば、そのような結果は予想されておらず、「ヘレンニウスのピリップスに対する勝利は、クィントゥス・ファビウス・マクシムス・エブルヌスのマルクス・アエミリウス・スカウルスに対する勝利(紀元前117年選挙)や、グナエウス・マッリウス・マクシムスのクィントゥス・ルタティウス・カトゥルスに対するグ勝利(紀元前106年選挙)と同じように、同時代の人々には不可解なものとうつった」と述べている[6]。

紀元前93年に執政官に就任。同僚執政官は、パトリキ(貴族)のガイウス・ウァレリウス・フラックスであった。執政官としての業績はほとんど分かっていない[7]。またこれ以降のヘレンニウスに関する記録もない[3]。

大プリニウスによれば、フラックスとヘレンニウスが執政官の年に、キレナイカでのシルフィウム(現在のどの植物に該当するか不明)の収穫は普通であった[8]。

知的活動

キケロは、『ブルトゥス』で、ルキウス・リキニウス・クラッススとマルクス・アントニウス・オラトルと同時代の弁論家として、ヘレンニウスを挙げている。それによると「演説は人並みだったが純粋なラテン語を正確に話す弁論家」であり、「ピリップスに弁論術は劣っていた」とされている[9]。

脚注

参考資料

関連項目

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks