マルコム・ブラウン
From Wikipedia, the free encyclopedia
キャリア
朝鮮戦争に徴兵され[2]、スターズ・アンド・ストライプス(星条旗新聞)で2年間働いたことから、ブラウンのジャーナリストとしてのキャリアが始まった。その後、ニューヨーク州オレンジ郡ミドルタウンのタイムズ・ヘラルド=レコード社勤務を経て[3]、1959年から1961年までボルチモアのAP通信社で働き、後にAP通信インドシナ支局長の職にも就いた。ピューリッツァー賞受賞後は仕事の依頼を数多く受けるようになり、1965年にAP通信を退社した。
AP通信を退社した後、ブラウンはABCテレビで一年ほど働いたが、テレビのジャーナリズムに満足できなくなり[1]、数年の間フリーランスのジャーナリストとなる。一方で、コロンビア大学の国際関係評議会の研究員をしばらくの間務めた。1968年、ブラウンはニューヨーク・タイムズ社に入社し、1972年には南アメリカ特派員となっている。ジャーナリストになる前化学を専攻していたブラウンは、1977年科学ジャーナリストとして米科学誌ディスカバーの編集主任を務めた。その後、1985年に古巣のタイムズ・ヘラルド=レコード社に戻り、1991年には湾岸戦争報道を担当した。
2012年8月27日、ニューハンプシャー州の病院で死去[4]。81歳没。