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マントン・マーブル

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マントン・マーブル(Manton Marble、1834年11月16日 - 1917年7月24日)は、アメリカ合衆国ジャーナリスト、新聞発行者である。1862年に『ニューヨーク・ワールド』紙を買収し、同紙を売却する1876年まで編集長を兼任した[1]

マーブルは1834年11月16日マサチューセッツ州ウースターで生まれた。1855年、20歳でロチェスター大学を卒業してボストン・ジャーナル英語版社に入社し、『ボストン・イヴニング・トラヴェラー英語版』紙の編集者になった。1858年にニューヨークに移って『ニューヨーク・イブニング・ポスト』紙の編集スタッフに加わった。1859年、イブニング・ポスト紙の特派員としてレッド川流域に赴任した。赴任中に『ハーパーズ・マガジン』に3つの記事を寄稿した。

ニューヨーク・ワールド

1862年、マーブルは1860年に創刊された『ニューヨーク・ワールド』紙を買収し、その編集長となった。マーブルはワールド紙を、自由貿易を支持する民主党寄りの紙面に変えた。1863年のニューヨーク徴兵暴動の際には、『ニューヨーク・トリビューン』や『ニューヨーク・タイムズ』のような共和党系の新聞とは違い、マーブルのワールド紙のオフィスは襲撃されなかった。

1864年、ワールド紙に掲載されたリンカーン大統領からのものとする文書が偽造であることが判明し、ワールド紙は詐欺罪で起訴された[2]。リンカーンはマーブルを逮捕し、ワールド紙のオフィスを軍の監視下に置いた。ワールド紙は3日後に発行を再開することが許された。

1872年の大統領選挙で、ワールド紙は、自由共和党英語版から出馬し民主党の公認を受けたホレス・グリーリーの選挙活動に対し猛烈に反対した。1876年の大統領選挙で民主党候補のサミュエル・ティルデンが敗北したことに嫌気がさし、選挙後にワールド紙を売却した。

1885年、複本位制会議の代表としてヨーロッパに行った。1888年にはマンハッタンクラブの会長に就任した。マーブルは1917年7月24日、イギリスで82歳で死去した[1]

著作物

脚注

外部リンク

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