マーク・リッチ
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ベルギーのアントウェルペンにて両親はユダヤ人の家庭に生まれる[2][3][4]。出生名は Marc David Reich。1941年にナチを避けて一家で渡米。高校卒業後、ニューヨーク大学に進学するが、一学期で退学。すぐにディーラーとして働き始め、貴金属取引の分野で頭角を現す。
1974年、グレンコア社の前身である商品取引会社マーク・リッチを共同創業[5]。パフラヴィー朝時代のイランからイスラエルに必要量の石油を極秘にパイプライン輸送で供給する合弁事業を何年にもわたって成功させた[1]。イラン・イスラム革命後のイランとイスラエルとの間の非公式仲介者としても活動し、公式にはイスラエルに敵対的だったイランの最高指導者ルーホッラー・ホメイニーと友好関係にあり[6]、イスラエル諜報特務庁(モサド)の活動も財政面で支援した[1]。貴金属取引の経験で培った様々な独裁国家や独裁者との繋がりを使い[7]、アパルトヘイト政策のために経済制裁を受けていた南アフリカ共和国へ総額20億ドル(約1780億円) 相当の石油を販売し[1]、キューバのフィデル・カストロ、ナイジェリアのサニ・アバチャ、チリのアウグスト・ピノチェト、リビアのムアンマル・アル=カッザーフィー、ルーマニアのニコラエ・チャウシェスク、中華人民共和国、ソビエト連邦と取引関係を持った[8][9][10][11]。
1970年代のオイルショックの際には巧妙な原油取引により巨億の富を手にするも、パートナーのピンカス・グリーンと共謀して脱税やイランとの不正な石油取引を行った疑いで、1983年にアメリカの検察当局から起訴される。当時、リッチはスイスにいたが、連邦捜査局(FBI)の10大指名手配犯リストに名前が載ったためにアメリカに帰ることは事実上不可能になった。1984年には欠席裁判で有罪判決を受けた。
2001年1月20日、任期終了数時間前のクリントン大統領から恩赦が与えられた[12]。しかし、これに先立ってリッチの元妻デニス・アイゼンバーグ・リッチが民主党に総額100万ドル以上の献金を行っていたため、一部のメディアで「金で恩赦を買ったのではないか」と物議をかもした。クリントンの決定の裏側には、イスラエル政府からの嘆願や、リッチが献金していた名誉毀損防止同盟からの圧力も存在したと伝えられている。リッチは赦免を獲得するや否や、石油・食料交換計画のスキャンダルに絡む事業でイラクのサッダーム・フセイン政権と関わった[13]。