マーシャル・ローゼンバーグ

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マーシャル・バートラム・ローゼンバーグ(Marshall Bertram Rosenberg、1934年10月6日 - 2015年2月7日)は、アメリカ合衆国心理学者、調停者、著者、教師。

1960年代初頭に人間関係をサポートし、自己、対人関係、そして社会全体における争いや衝突を解決するコミュニケーションプロセスである非暴力コミュニケーションを開発した。世界各地で調停者として活動し、1984年に国際的な非営利組織[1] のCenter for Nonviolent Communication(非暴力コミュニケーションセンター)を設立し、教育サービス部長を務めた。

彼の伝記作家、マージョリー・C・ウィッティは、「彼はニコニコしていたり笑っていたりしても激しい表情をしている。全体的な印象として、強烈な知性と感性を感じた。カリスマ的な存在感があった」と記している[1]

ローゼンバーグはオハイオ州カントンで生まれた。祖母アンナ・サトフスキー・ウィーナーは9人の子供を産んでおり、貧しい生活にもかかわらず、セツルメントハウスを維持して、援助を求める人々を受け入れていた。マーシャルの祖父はパッカードで働き、祖母は労働者の子供たちにダンスを教えていた。

父親フレッド・ドナルド・ローゼンバーグはオハイオ州スチューベンヴィルで食料品の卸売在庫をトラックに積み込む仕事をしていた。母のジーンはプロのボウリング選手で、週5晩トーナメントに参加していた。また、高額支援者を持つギャンブラーでもあった。両親はローゼンバーグが3歳の時と、実家を巣立った時に2回離婚している。

オハイオでは教室が3つしかない学校に通っていたが、1943年に家族はミシガン州デトロイトに移住した。その1週間後にデトロイトで人種暴動が起き、34人が死亡、433人が負傷した。転校先の学校でローゼンバーグは反ユダヤ主義と遭遇し「私は子供の頃から、他の人を苦しめる人々を見ることが耐えられませんでした。」人々はなぜ痛ましいことをするのか、そしてなぜ自分に嫌なことがふりかかるのかということが不思議でならなかった彼は、内面化し「苦痛に対する意識」を発達させるようになった。

「私の家族は非常に愛情深く、私にたくさん愛情を注いでくれました。それがなかったら、自己嫌悪に対処するのははるかに困難だったかもしれない」と語っている。

祖母アンナは筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患わっており、ローゼンバーグのおじのジュリアスと母親に世話をされながら家のダイニングで死に瀕していた。ローゼンバーグの両親は祖父と叔母の介護もしていた。ローゼンバーグはその頃から家のポーチの下で誰にも気づかれないように隠れることを学んだ。薬剤師のジュリアスは義母を非常に思いやり深く介護していた。

7歳年下の弟は外向的でませており、目立つ存在だった。他の子どもたちから弟を守るためにローゼンバーグはよく喧嘩に巻き込まれていたが、その後、兄弟は44年間、疎遠になっていた。「私の弟と母は、妻グロリアに似ています。彼らは行く先々で物事をかき立てるのです。私は彼らのそういう個性を愛していますが...」とローゼンバーグは回想している。

「当時の私はよくケガなどで入院する事が多かったです。その原因はスポーツから、普通だったら乗り切れるような喧嘩以上の暴力的な諍いによるものまで様々でした」

夏休み合宿のサマーキャンプを通して自然環境を愛するようになった。「私の心の平安には高密度の木と少ない人口密度が必要です」

ローゼンバーグは1961年に最初の妻ビビアンと結婚し、3人の子供をもうけた。1974年に2番目の妻グロリアと結婚し、1999年に離婚した。2005年に3番目の妻ヴァレンティーナ(愛称キディーニ)と結婚し、2015年に亡くなるまで連れ添った。

教育

NVC(非暴力コミュニケーション)の実践

脚注

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