マーセル・ディオン
From Wikipedia, the free encyclopedia
| マーセル・ディオン | |
|---|---|
|
1987年 | |
| 本名 | マーセル・エルフェイジュ・ディオン |
| 原語名 | Marcel Elphège Dionne |
| 愛称 | リトルビーバー |
| 生誕 |
ケベック州ドラモンビル |
| 身長 | 5 ft 8 in (1.73 m) |
| 体重 | 185 lb (84 kg; 13 st 3 lb) |
| ポジション | センター |
| ショット | 右打ち |
| 所属したチーム |
デトロイト・レッドウィングス ロサンゼルス・キングス ニューヨーク・レンジャース |
| 代表 |
|
| NHLドラフト |
1巡目 / 全体2位(1971年) デトロイト・レッドウィングス |
| プロ選手期間 | 1971年 – 1989年 |
| 1992年殿堂入り | |
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| アイスホッケー | ||
| カナダカップ | ||
| 1976 カナダ | ||
| 世界選手権 | ||
| 1978 チェコスロバキア | ||
| 1983 西ドイツ | ||
| 1986 ソビエト連邦 | ||
マーセル・ディオン(フランス語: Marcel Dionne, 1951年8月3日 - )は、カナダ連邦ケベック州ドラモンビル生まれの元プロアイスホッケー選手である。ポジションはセンター。ホッケーの殿堂入りを果している。
弟のジルベールは主にモントリオール・カナディアンズで活躍したNHL選手であった。
OHAのセントキャサリンズ・ブラックホークスでジュニアのスーパースターとして活躍、3シーズンで375ポイントを獲得し、チームの1971年のメモリアル・カップ決勝進出に貢献した。ディオンヌは1970年にOHAポイント王となり、リーグのセカンドオールスターチームにも選出され、1971年にはポイント王を防衛し、ファーストオールスターに選ばれた。
1971年のNHLドラフト1巡目(全体2位)でデトロイト・レッドウィングスから指名され、入団。全体1位はギイ・ラフレールであった。
NHLでの最初の4年間をデトロイト・レッドウィングスでプレーし、1974-75シーズンに121ポイントを記録、その後トレードで移籍したロサンゼルス・キングスで11年半、現役最後の2年半をニューヨーク・レンジャースで活躍した。1989年に現役を引退した。ベストシーズンは1979-1980シーズンで、ディオンヌはチャーリー・シマーとデイブ・テイラーと共にリーグ史上最も得点力の高いトリオの一つトリプル・クラウン・ラインを結成し、137ポイント(53ゴール、84アシスト)を記録している。この年は、NHL においてポイント数ではウェイン・グレツキーに並んだ(なお、51ゴール、86アシストを記録したグレツキーは、このシーズンがNHLの初シーズン。)。グレツキーの出場試合数の方がディオンのそれよりも1試合少なかったが、ゴール数で勝ったディオンがアート・ロス記念賞(レギュラーシーズンポイント王)を受賞している。1975年から1983年まで毎年キングスのポイント王だった。
ディオンヌのキャリアで最高のプレーオフは1981-82シーズンで、10試合で11ポイントを挙げ、キングスが記録的なエドモントン・オイラーズを1回戦で敗った。
1981年1月7日、彼は通算740試合目で通算1,000ポイントを記録し、1982年12月14日、NHL通算500ゴール目を達成した。 2005年の時点で6人の選手が達成している通算700ゴールの金字塔を、3番目に達成しており(初は、1980年のゴーディ・ハウ、2番目に達成したのは1981年のフィル・エスポジト)、通算ゴール数731は歴代第6位、ポイント数1,771は第6位、アシスト数1,040は第6位である(いずれも2026年現在)。[1]
