マーラン船

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マーラン船(まーらんせん;沖縄語:まあらんしん)は、沖縄において近世から近代にかけて用いられた伝統的な木造船で、沖縄各地では山原船(やんばるぶね)とも呼ばれる。

マーラン船は、琉球王国時代から近代にかけて、沖縄における物資輸送・人員移動を担った重要な船舶である。琉球域内航路に加え、日本本土との往来にも使用され、特に18世紀以降の近世琉球を代表する民間船とされる。具体的には、山原与那原の間で薪を運搬したほか、那覇周辺では生活物資の輸送に従事し、さらに奄美諸島喜界島へは山羊、馬、牛などの家畜輸送にも用いられた。[1]

その建造技術は、中国の造船技術、特に進貢船に由来するものと考えられており、18世紀前期に中国から伝えられたとする説が有力である。一方で、明治期以降には日本の和船構造の影響も受け、独自の発展を遂げたとされる。

マーラン船は本来、民間の輸送船であったが、状況に応じて首里王府により借り上げられ、公的用途に用いられることもあった。とくに、琉球に漂着した遭難民(主に中国人と朝鮮人)を清国福州へ送還する際には、難民護送船として使用された事例が確認されている。[2]

その一例として、1744年(清雍正12年)、琉球国に漂着した朝鮮人を清国経由で送還するため、臨時に仕立てられた護送船としての馬艦船が挙げられる。この際、当該船には特定の旗を掲げることが求められており、記録には「菩薩媽祖)・太陽旗(日の丸)」「大檣の百足旗(日の丸を伴う)」「七星旗(北斗七星旗)」など、本来は進貢船や楷船(琉球から薩摩藩へ貢納のため運航した官船)に用いられる公的性格の強い旗が含まれていたことが記されている。[3]

通常、馬艦船が民間船として琉球国域内を航行する際の艤装は、鳥頭旗・艫旗・唐竹旗のみであったと考えられている。[4]

昭和初期まで運用されていたが、1965年以降は実用船として姿を消した。[5]

名称

「マーラン船」は船大工の間で用いられてきた呼称であり、文献や地域によっては「馬艦船」「山原船」とも表記される。造船構造上は同系統の船と考えられており、本質的な差異はないとされる。[6]

「馬艦船」の名称は近世中期以後、沖縄本島および先島諸島間の航行に用いられた船に由来し、「マーラン」は中国語系の呼称と考えられている。先島への御用船には十二帆を備えた大型船が用いられることもあったが、一般には五~八反帆の船が多く、航行速度が速く海上を馬のように走ると形容されたことからこの名が付いたとされる。[7]

船型と構造

近代以降と復元

参考文献

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