マーリー・マール
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マーリー・マールはノトーリアスbIG、DJプレミア、RZAらに影響を与えた人物として知られている。[1]トラックメイカーのパイオニアとして知られ、サンプラー"E-mu SP-1200"を使用したトラック制作の手法(サンプリング・ループ等)を、次世代のアーティストに定着させた。幼少期にはエレクトロニカに興味を持ち、これがミュージシャンを志すきっかけとなった。その後、1980年代初頭にレコーディングスタジオで見習いとして働き始め、スタジオに導入されていたフェアライトCMIに触れる機会があったという。フェアライトを操作中に誤ってあらかじめ録音されていた素材からスネアドラムの音を短く切り取ってしまうというミスを犯した。その音をドラムマシンのスネアドラムの音と聞き比べてみたところ、かなり良いと感じられたという体験をする。これはサンプリングのかなり初期の例である。
その後、セックス・ピストルズ[2]の仕掛人だったマルコム・マクラーレンの「バッファロー・ギャルズ」という曲のリミックスを制作したところ、ラジオDJのミスター・マジックに気に入られ、1983年に2人でジュース・クルーを結成した。1984年、ロクサーヌ・シャンテの「ロクサーヌ・リベンジ」という曲をプロデュースして、話題になった。シャンテが2008年にインタビューで語ったところによると、レコーディング機器が非常に乏しい中で制作し、マールの住んでいた家の居間にオープンリールと4トラックのマルチトラックレコーダーを置いただけの環境だった。マールは妥協を許さず同じテイクを何度も録音し直したという。
1985年、MCシャンと共にシングル「Marley Marl Scratch 」をリリース。ビッグ・ダディ・ケイン[3]、ビズ・マーキー[4]、クールGラップ&DJポロ、マスタ・エース、ロクサーヌ・シャンテ、MCシャンらが所属する「ジュース・クルー」に多くの楽曲を提供した。代表的なプロデュース作品に、MCシャン「The Bridge」、ビズ・マーキー「Nobody Beats The Biz」、LL・クール・J「ママ・セッド・ノック・ユー・アウト」、エリックB.&ラキム「Eric B. Is President」などがある。ピート・ロックと共に、ラジオHOT97の番組"Future Flavas"でDJを務めた。
ディスコグラフィ
- In Control Volume 1(1988年)
- In Control Volume II - for your steering pleasure(1991年)
- Hip Hop Dictionary(2000年)
- Re-entry(2001年)
- Hip-Hop Lives(2007年) KRS-ワンとの共同名義