ミゲル・ペレス・ジュニア

From Wikipedia, the free encyclopedia

リングネーム ミゲル[1]
ミゲリート・ペレス[1]
ミゲル・ペレス・ジュニア[1]
本名 ホセ・ミゲル・ペレス・ジュニア[1]
ニックネーム 褐色の中距離核弾頭[2]
身長 183cm[1]
ミゲル・ペレス・ジュニア
プロフィール
リングネーム ミゲル[1]
ミゲリート・ペレス[1]
ミゲル・ペレス・ジュニア[1]
本名 ホセ・ミゲル・ペレス・ジュニア[1]
ニックネーム 褐色の中距離核弾頭[2]
身長 183cm[1]
体重 117kg[1]
誕生日 (1966-04-22) 1966年4月22日(59歳)[1]
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ カロリーナ[1]
トレーナー ミゲル・ペレス英語版[1]
ルー・テーズ[2]
デビュー 1985年4月29日[1]
テンプレートを表示

ミゲル・ペレス・ジュニアJose Miguel Perez Jr.1966年4月22日[2] - )は、プエルトリコカロリーナ出身のプロレスラー(生年は1960年[3]または1963年[4]と諸説あり、出身地もアメリカ合衆国ペンシルバニア州ピッツバーグとされる場合もある[3])。

かつて誌上などでは「ミグエル・ペレス・ジュニア」と表記されていた。

父は1960年代ニューヨークWWWFで活躍したミゲル・ペレス英語版。高校時代までバスケットボールで活動[2]した後、父の影響で1985年4月29日にサンフアンでエリック・エンブリーを相手にデビュー[2]。デビュー前はルー・テーズにもレスリングの指導を受けた[2]

プエルトリコでは父と同じくカルロス・コロン主宰のWWCを長らく主戦場とし、8月には全日本プロレスに来日[3]1986年2月28日には馳浩のデビュー戦の相手も務めた[3]1989年2月、1990年10月、1991年1月には3年連続で新日本プロレスに参戦[5][6][7]。12月にはW★INGプロモーションに来日[7]。同年はメキシコUWA(LLI)EMLLにも出場した[8]

1992年2月16日にはW★INGの後楽園ホール大会で、アイスマン(リッキー・サンタナ)を相手にWWCカリビアン・ヘビー級王座の防衛戦を行ったが[7]、12月28日に金村ゆきひろにタイトルを奪われた[9]。同年はアメリカにも進出し、6月16日にWCWNWA世界タッグ王座決定トーナメントにリッキー・サンタナと組んで出場したが、1回戦でスタイナー・ブラザーズに敗退している[10]

1993年から1995年にかけてW★INGに再三来日し、タイトル戦線やデスマッチで活躍[11][12][13]ザ・ヘッドハンターズらと共に常連外国人選手となった。当初はビクター・キニョネス率いる「プエルトリコ軍団」の一員だったが、その後W★ING陣営に加わり、金村とのタッグチーム「ニュー・カリビアン・エクスプレス」で活動した。一方、アメリカでは1993年3月、ヘッドハンターズと共にECWに参戦[14]1995年3月にはWWFに出場[15]。メキシコでは1996年9月27日に、LLIでカネックUWA世界ヘビー級王座に挑戦している[16]

1997年6月、WWFでサビオ・ベガをリーダーに、プエルトリコ系選手によるロス・ボリクアスLos Boricuas)を結成。ファルーク率いる黒人至上主義軍団ネーション・オブ・ドミネーションや、クラッシュ率いる白人バイカー軍団ディサイプルズ・オブ・アポカリプスと軍団抗争を展開した。9月から10月にかけては、当時ザ・ヘッドバンガーズが保持していたWWF世界タッグ王座にも挑戦した[17]

地元プエルトリコのWWCでは、1980年代から北米タッグ王座[18]、北米ヘビー級王座[19]、プエルトリコ・ヘビー級王座[20]、カリビアン・タッグ王座[21]、世界タッグ王座[22]、カリビアン・ヘビー級王座[23]と、団体のベルトを総なめにしている。

2000年代にはIWAでもハードコア王座[24]、世界ヘビー級王座[25]を獲得。タッグでもサビオ・ベガ、アビスバイソン・スミスらと組んでIWA世界タッグ王座を奪取した[26]

2000年以降はプエルトリコに戻り、IWAでファイトした。セミリタイア後はIWAのスタッフとして活動している。

得意技

獲得タイトル

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI