第1回のミス・ワールド決勝は、正確に言うとそのような名称ではない。
小規模な仕出しとレジャー産業のグループ・Meccaの広報・販売部長であるエリック・モーリー(Eric Morley)は、ある日取締役に呼ばれ、来るべきFestival of Britainに[2]お色気と華やかさを添えたいと言われた[3]。モーリーは、1946年フランス人エンジニアLouis Réardによって発明された[4]ビキニのミスコンを提案した。名付けてFestival Bikini Contest[5][6]。
モーリーは1949年、BBCに”Come Dancing”を提案し[3]、ビンゴ・ホールの経営者として
[7]ビンゴの普及に尽力した人物としても知られる。
キキ・ホーカンソンが1000ポンドの賞金をもらい、イベントは成功裏に幕を閉じた。タブロイドは[8]好奇心たっぷりに「ミス・ワールド」の名でこのイベントを報じた[7]。翌年、米国でミス・ユニバースが始まった。モーリーはミス・ワールドを毎年のイベントしようとメッカを説得した[3]。モーリーはすぐに、ミス・ワールドという商標を登録した[4]。
こうして正式に発足したミス・ワールドに関し、モーリーは次のように説明した。「ビキニを着れば少しくらいお尻が大きくとも(意訳)きれいに見える」。また、期待される参加者像についてこうも言っている「17歳から25歳。理想を言えば170cm, 50.8-57.2kg。ウエスト56-61、ヒップ89-91、超えていても足りなくてもいけない。愛らしいお顔、健康な歯並び、豊かな髪の毛、前も後ろも完ぺきな脚」[3]。
ただし、ビキニに対して異論がなかったわけではない。教皇ピウス12世はビキニを不道徳と宣言した[9]。スペイン、アイルランドその他、宗教的に保守的な国も代表を送らないと脅した[4]。1952年、ビキニの審査は行わないと公式に決定し、キキ・ホーカンソンは「ビキニを着て戴冠した唯一のミス・ワールド」と呼ばれることとなる[6]。また、ミスとしての任期475日は大会史上最長である[10]。