ドイツ幹部の内輪な夕食会で、アドルフ・ヒトラーからオットー・スコルツェニーに同盟国ハンガリーの連合国との講和の動きを阻止するように指令が出される。
オットーはヴォルフ博士という偽名を使い、自らブダペスト市街を偵察して回った。その情報検討の結果、オットーらSSフリーデンタール駆逐戦隊はSDと共同でホルティの次男ミクローシュを誘拐する計画を立てた。ミクローシュはホルティ提督に溺愛された放蕩息子であった。またミクローシュはユーゴスラビアのパルチザン勢力ヨシップ・ブロズ・チトーらと連絡を取り、休戦を実現しようとしているとしてSDから狙われていた。ブダペストのSDは当初「マウス作戦」という作戦名を用いていたが、ミクローシュのニックネーム「Niki」を「ミッキー」と聞き間違えたことから、「ミッキー・マウス作戦」とふざけて呼んでいた。
SDは二人の隊員をチトーの部下として偽装し、10月13日にミクローシュと接触しようとしたが、著名なSD将校が姿を表したことに警戒したミクローシュ側が中止を申し入れた。
10月15日、ハンガリー・ドナウ港湾協会会長ボルネミッサ・フェリクスの事務所で再び会合が持たれたが、ミクローシュは5人の将校を従え、離れた場所には一個中隊が通り二つを隔てた先で待機していた。一方でドイツ側も事務所の上階を借り受けて待機させており、表通りにはスコルツェニーの部下がトラックに乗り込んで待機していた。午前10時過ぎ、ミクローシュが事務所に入ったことを見届けたスコルツェニーは事務所に急行した。二人のSDが建物に近づこうとしたが、ハンガリー側の将校が発砲して一人は死亡した。更に複数の建物から銃撃が行われ、スコルツェニーらとの市街戦が発生した。ドイツ側はハンガリー側を追い返し、近くのビルに押し込めた。ミクローシュと港湾協会会長ボルネミッサは手錠をかけられて連行され、マウトハウゼン強制収容所に収容された。
同日正午頃、ドイツのエトムント・フェーゼンマイヤーがホルティのもとを訪れ、休戦発表の中止を申し入れた。同席した駐ブダペスト親衛隊及び警察指導者オットー・ヴィンケルマン(ドイツ語版)親衛隊大将の回想によれば、フェーゼンマイヤーの交渉は「(ホルティに)裏切りの意図が少しでもあれば、子息は壁の前に立たされるだろう」という「脅迫の切札」を出さないままの交渉であったという。こうしてハンガリーとソビエト連邦の休戦成立は午後2時にブダペスト放送から放送された。
しかし同時にヴィンケルマンの配下によってブダペストの各拠点は占領が行われており、10月16日にはブダ城も占拠された。ホルティは退位し、サーラシ・フェレンツ率いる矢十字党の政権がドイツの傀儡政権として戦争を続けることとなる。
スコルツェニーはこの後ヒトラーのもとに召喚され、作戦のことを話すように促された。作戦の話を聞いたヒトラーは何度も声を上げて笑ったという[7]。