ミットフォード姉妹

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ミットフォード一家(1928年)

ミットフォード姉妹(ミットフォードしまい)は、イギリスリーズデイル男爵ミットフォード家に生まれた6人姉妹である。それぞれ作家、ファシストコミュニスト公爵夫人など多彩な波乱万丈の人生を送り、イギリスでは20世紀前半の上流階級の一例としてアイコン的存在になった。姉妹に関する数多くの書籍が出版され、多数映像化もされている。姉妹の名前は上から、ナンシー、パメラ、ダイアナ、ユニティ、ジェシカ、デボラ。またパメラの下には唯一の男子であるトーマスがいる。

ミットフォード家はノーサンバーランドジェントリーの家系であった。また親族には下院議長を務めたジョン・フリーマン=ミットフォードをはじめとするフリーマン=ミットフォード家があり、この家系が最初のリーズデイル男爵、伯爵を名乗っていた。18世紀から19世紀前半にかけての著名な歴史家であったウィリアム・ミットフォード英語版等を輩出している。ウィリアムの曾孫で、伯爵令嬢を母に持つアルジャーノン・ミットフォードは、日本語に堪能で外交官として活躍し、幕末から明治時代初期の日本に赴任したことでも有名である。1886年、アルジャーノンは従兄弟のリーズデイル伯爵ジョン・フリーマン=ミットフォード英語版の死にともなってフリーマン=ミットフォード家の財産と家名を受け継ぎ、1902年には新たに初代リーズデイル男爵に叙された。アルジャーノンの子が2代目リーズデイル男爵デヴィッド・フリーマン=ミットフォード(David Bertram Ogilvy Freeman-Mitford、1878年3月13日 - 1958年3月17日)である。

デヴィッドは学問が嫌いで、サンドハースト王立陸軍士官学校の受験に失敗し、若い頃はセイロンの紅茶プランテーションで暮らした。1900年にイギリスに戻ると、反ユダヤ主義のファシスト思想に傾倒し、エキセントリックで風変わりな人物として知られた。1904年2月、枢密院議員の庶子で雑誌『バニティ・フェア』などの発行人であるトマス・ギブソン・ボウルズ英語版の娘、シドニー(Sydney Bowles Freeman-Mitford、1880年5月 - 1963年5月25日)と結婚した。夫妻の間にはナンシー、パメラ、トーマス、ダイアナ、ユニティ、ジェシカ、デボラの7人の子が生まれた。

夫婦とも姉妹の教育には熱心でなく、学校にやらずに自宅に家庭教師をつける程度で、早く良家に嫁に行くことを望んでいた。地主ではあるが、貴族としてはさほど豊かではなく、経済的な理由から子供たちは地方のカントリーハウスを転々として育った。

姉妹の略歴

参考文献

脚注

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