ミュルヴィク海軍兵学校
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1910年、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の命により、この地に海軍兵学校が創設された。赤レンガが一際目立つ独特のゴシック建築は、1274年に創設されたマリエンブルク城を模したものであった[1]。建築家はアダルベルト・ケルム。
1920年、英国陸軍のシャーウッド森林連隊はミュルヴィク海軍兵学校でシュレスヴィヒの帰属先を決定するシュレスヴィヒ住民投票の選挙を監督した[2][3]。
第二次世界大戦末期、海軍元帥カール・デーニッツはドイツ国大統領に就任した。総統アドルフ・ヒトラー自身がベルリンで自殺する前に残した政治的遺言の中でデーニッツを後継者として指名したのである。デーニッツはミュルヴィク海軍兵学校に移り、同校の敷地内に臨時政府を設立した。連合国への最終降伏の直後に英国軍によって崩壊させられるまでのおよそ20日間、フレンスブルクは事実上のドイツの首都となった。現在、ロンドンのグリニッジにある国立海洋博物館に、戦後イギリス軍によってミュルヴィク海軍兵学校から持ち出された船の模型、絵画、旗などが展示されている。

