1967年9月1日、千里丘放送センター内に「放送会館」を建設する計画が発表された[1]。
当初は千里丘陵で開催される万国博覧会を記念して建設する「万国博メモリアルスタジオ・ビル」(仮称)として、4,950m2の公開用ホールと、同じく4,950m2で高さ45mのタワービルの2棟を建てる計画だった。しかし、施設の有効活用やその是非に疑問の声があがり、その後計画は大幅に修正され、タワービルは計画そのものが中止された。また万国博メモリアルスタジオ・ビルも計画が縮小され、名称も最終的には「ミリカホール」となった[1]。
1968年5月11日に地鎮祭が行われ、総工費15億円をかけて建設された。1969年8月23日に完成し、9月1日には開館式が執り行われている[1]。
「ミリカ」はヤマモモの学名であり、かつて千里丘放送センター建設予定地に1本のヤマモモの老樹があったことに由来する。
1990年9月1日に完成した大阪市北区茶屋町の新社屋に「ギャラクシーホール」[2]が設置されたことに伴い、ミリカホールの役割はギャラクシーホールに引き継がれ、後に閉鎖されるに至った。
現在は解体されており、ミリカホール跡地を含む千里丘放送センター跡地は、再開発により大規模なマンション群「ミリカ・ヒルズ」が建設されている。