ミールザー・ハキーム

From Wikipedia, the free encyclopedia

ミールザー・ハキーム
Mirza Hakim
ムガル帝国皇子

全名 ミールザー・ムハンマド・ハキーム
出生 1553年4月29日
カーブルバーラー・ヒサール
死去 1585年7月30日
カーブルバーラー・ヒサール
埋葬 カーブルバーラー・ヒサール
子女 アフラーシヤーブ
カイクバード
カーブリー・ベーグム
父親 フマーユーン
母親 マフクチュク・ベーグム
宗教 イスラーム教スンナ派
テンプレートを表示

ミールザー・ハキーム(Mirza Hakim, 1553年4月29日 - 1585年7月30日)は、北インドムガル帝国の第2代皇帝フマーユーンの次男。

1553年4月29日ムガル帝国皇帝フマーユーンの皇子として生まれた[1]

1556年、父フマーユーンは事故がもとで死に、兄であるアクバルが帝位を継ぎ、彼はアフガニスタンカーブルの統治者となった。だが、ミールザー・ハキームは兄アクバルに反抗的で、カーブルに独自の政権を持ち、帝位をうかがっていた。

16世紀初頭以降、アフガニスタン近隣の 中央アジアには、 ウズベク人シャイバーニー朝ブハラ・ハン国が成立しており、イランサファヴィー朝と対立していた。

1577年にその君主アブドゥッラー2世はサファヴィー朝に対抗するため、アクバルに共同遠征を持ちかけたが、これは断られてしまった。 そのため、1579年から1581年の間、アブドゥッラー2世はミールザー・ハキームに同盟を持ちかけ、ときには帝都デリーへの攻撃を促すなど、ミールザー・ハキームはアクバルの帝権を脅かすようになった。

1585年7月30日、ミールザー・ハキームが死亡した[1]。その後、アクバルはカーブルを直轄化したのち、首都をラホールに遷し、1586年にアブドゥッラー2世と領土に関して協定を結んだ。

脚注

参考文献

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI