アブドゥッラシード・ハン1世の五男として生まれる。
兄のアブドゥル・カリームがトルファン・ハン国を滅ぼした後、その遺領であったトルファンの総督に任命された。
1592年にアブドゥル・カリームが死去すると、跡を継いで即位した。シャイバーニー朝からの侵略を撃退した。ナクシュバンディー教団の黒山派を信奉し、晩年は黒山派のホージャ・イスハークとサイードのホージャ親子が国政の実権を掌握した。
ムハンマド・ハンの時代に、イスラム教はさらに勢力を広げ、イスラム法はますます人びとをより厳格に支配するようになり、ホージャやスーフィズム集団のヤルカンド・ハン国への影響力も大きくなった。ムハンマド・ハンはホージャ・イスハークを尊崇し、その教派の勢力拡大を支援した。まもなくホージャ・ムハンマド・イミンもカシュガルでその教派勢力を拡大させたので、黒山党と白山党の二つのホージャ勢力による激烈な派閥闘争が展開されるに至った。
1603年にポルトガル人エベン(鄂本)がヤルカンド・ハン国を遊歴した際、ムハンマド・ハンの熱烈な歓待を受けている。エベンはその後、1607年に甘粛で病死した。彼の旅行記録の手稿は大部分散逸したが、残存した部分がイタリア人のイエズス会宣教師マテオ・リッチによってその著作に書き残されている。それによると、宗教信仰の異なっていたエベンは、しばしばイスラム教徒から集団的な攻撃を受け、イスラム学者マウラーやイスラム法官カーディーとの宗教弁論を強要され、改宗を迫られたという。
1610年に死去。長男のシュジャーウッディーン・アフマドが跡を継いだ。